やりたいことができていない〜という話について、あれこれ考えたものの、けっきょくは習慣化できているのが最強で、なにせ仕事は「行きたーい」と思わなくとも同じ時間同じ場所に馳せ参じているのが何よりの証拠だ。行動に至るまでの背景に経済面の恩恵が大きいことは否定しがたいが、それでも習慣化しているから朝なんとなく大丈夫な時間に起きる身体まで改造されつくしてしまっている。決まっていないことが最大の敵なのである。
「決まっていない」ということが気楽なこともあれば、耐えがたいこともある。わたしは食べるものが決まっていないことが苦痛でたまらず、別に空腹でなければいいかといったところでスキップしてしまうこともある。休日はほぼ1日2食で、しごとは午後のパフォーマンスの問題もあるので何かしら食べねばと思いつつ定まらない日々が続いており、夜は疲労も重なりなおのこと苦痛な時間として降ってくる。カレーやエスニック料理がすきとはいえ、娯楽の範疇ですきなのであり、常食するとなると調達や作成の面倒くささがまさる。一方、朝は完全食COMPのパウダータイプでこの10年くらい落ち着いており、本当に気楽でならない。昼も夜も、人との約束や「何としてもここに行くぞ!」という気持ちが昂ってこない限り、ルーティンにしてしまいたいな、と思っている。飽きもくるのでなかなかむずかしい。
習慣とはそれくらい、負担を減らしてくれる仕組みであり、それによっておもしろいことや、やりたいことや、知りたいことに接近できるのはありがたいことこの上ない。ただ人の脳はあまりにも低きに流れていってしまいやすい。そこをどうするか、というところが、前に何度かふれていたルーティン化や、そもそもやりたいことまで心身をリーチするにはどうしたらいいかという細かい部分の話だったといってよい。対処すべきものの輪郭が明確になったことは大きく、もっと楽に過ごしていけるようにしたい。
読んでくださり、ありがとうございます。食事の場合、素朴な方がいいのかなとは思っておりますが。


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