◆あこがれのきもち

昨日は、旧来のともだちといっしょにポップンミュージックをした。実に何年ぶりかわからない「プチオフ会」はたいへん楽しいもので、彼女も喜んでくれたようだった。
彼女はほぼブランクなしでゲームを続けているので(そもそも上手だったのだけれど)、さらに磨きがかかっていた。やめる直前はわたしと競えるくらいの実力だったが、今は到底かなわない。継続して培われたリズムキープの能力は一朝一夕で身につくものではないと一見して解る。彼女のもつひとつひとつの記録が、このゲームと真摯に向き合ってきた時間の結晶だった。わたしは彼女のもつひたむきさに、あこがれの念すら抱いた。
あこがれのきもちは、ここ最近わたしの中によく登場する。自分にとってモチベーションのあることならば少しでも近づくためにがんばる原動力になるし、爪のかたちや声の質といった、逆立ちしてもかなわないしろものでも「そういうあなたがすてきです」という敬意がにじんでくる。
思うにこれらは昔、嫉妬やうらやましさとして表出していたできごとたちだ。若いときは血気盛んだからなのか、根が戦闘民族だからなのかはわからないが、とにかく他人と対峙する考え方をしがちだった。そういったことに疲れて、ゲームであれば「楽しむ」という本質を見失うようなことがままあった。わたしはあまり表出しないタイプだったけれど、当時は女性プレイヤーも少ないうえになまじっか上手な方だったので、みにくい慢心のあったことは想像に難くない。
あのころから5年が経ち、他人と自分をみつめる視点はだいぶ変化してきた。あこがれは競争しないからか、とても平和だ。わたしがなれる・なれないを問わず、前提として「そういうあなたがすてきです」ということがはさまっている。このクッションがここちよいし、安心をもたらしてくれる。
ふと自分をとりまく世界をみてみると、そういった考え方の人々に囲まれていることに気付く。視点が変わった要因は周りの環境にあるのかもしれない。今の対人関係は決して積極的な選択の結果ではないけれど、身を置く環境の大切さが深くしみた。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。会いたい人に会えるのはよい日々です。

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