cryin8c10wn.hatenablog.jp
前回(上リンク)は食の快楽のふたつめまでまとめた。今日はみっつめから。
みっつめは食事という行為自体がもつエロスだ。これが一番快楽指数が高い。これについては
@IGYO10 摂食も生殖も共に数少ない他なるものを包摂して、自己の存在を更新していく作業でしょ。その危うさの深淵にエロスと後ろ暗さを感じるのかなあと思います。
— R Ogino (@R1_Ogino) August 18, 2015
という先輩のリプライが物語っている。なぜこんなにも簡潔に思っていることをまとめてしまうのか。すばらしいの一言です。同じ脳がほしいよな。
もうちょっと突っ込んだ話をすると、全部が全部最高潮に興奮する!ってわけではない。上記にある背徳感と快楽は、ちょっと考えてみたらほんのりと煙のように漂ってくるいい匂い程度のものだ。ふだん食事をしているときそこまでドキドキしているわけでない。先ほどのパフェも、おそらく平たい器に入ってくれば別にここまで考えなかっただろう。
しかし煙で済まないこともある。ここで登場するのも海のいきものである。そもそものビジュアルがすき(自分の審美観に近いのだとおもう)なのも相まり、原形が残っていればいるほどその快楽は強まる。そして決定打は、調理されるまで捕食する側として彼らが生きていたことだろう。どこかにそういったものたちを捕食してしまう罪深さが根付いているのだ。同じいきものでも肉でそうならないのは、おそらく動物の姿にさほど魅力を感じていないからだろう。あと肉の味がそこまですきじゃないこともある。各々の快楽はゆるやかに連動している気がする。また野菜や果物など植物系のものや納豆、豆腐などの加工食品、あとおやつもそういうことはない。生きものでないからとっかかりにくいのかもしれない。つまり姿が残っていても、たべっこどうぶつはふつうに食べるしおいしい。
海の生きものの中ではえびが一番すきなのだけど、殻を外して食べる作業がちょっと後ろめたいときがあって、それもこのあたりの欲望から来ていた気がする。それでもお寿司を頼んだ時にあたまがついているとうれしいし、外すのはたのしいしちょっと興奮する。卵がついていればそのよろこびも一回り大きい。ほんとうに罪深い情念だと思うのだけど、感情は理屈ではないので止めることはむつかしい(性に関する衝動なんてだいたいそんなものだと思っている)。一方かにに対してそういった感情がわかないのは、解体するのが足だけだからだろうか(おいしいけど)。さざえをほじくりだす作業もそこまでいいな!とは思わない(おいしいけど!)ので、食べものに対して抱くエロスも個人差があるような気がしている。性癖とおなじだ。わかる人にはわかるしわからない人にはわからないことなのだと思う。
ところで、最近は虫を食べたい気持ちが大きくなっている。どんな味か気になるのと、虫は料理になったとしても姿がそのままで出てきそうで(レビューを見た上での予想)、実際食べてどんなきもちになるのか知りたい。味よりそちらのほうが興味としては大きい。なんにせよ好奇心がやまないので、早めに行きたい。
あとは、ほんとうにしょうもないから書くか迷ったのだけど、虫もけっこうそのフォルムや生き方がエロティックなものだという印象があり、そのせつなさ、健気さは海の生き物を上回るものもいる。そんなせつない生きものたちに無骨にも介入して食べてしまいたい破壊衝動というか、そういったしょうもない欲求が自分の中にあるので、そういった欲求を満たしてみたいなっていうのもある。ほんとうにしょうもないし虫には失礼きわまりないのだけど。
それにしたってその対象が人間でなくてよかったと思うべきか、それともいのちは平等だから実質的に罪深さは変わらないだろうか。うーん…。
というわけで、食と性のつながりについて考えてみた二日間。これから秋がやってくるのでとっても楽しみ。
コメント
通りすがりでコメント失礼します。
自分の好きな作家の久世光彦の作品で「飲食男女(おんじきなんによ)」という短編集がありまして、食と性の観点からオススメしたいです。
では
http://www.amazon.co.jp/飲食男女-おんじきなんにょ-―おいしい女たち-文春文庫-久世/dp/4167581051
こんばんは。
これを書いていて、食と性にまつわる文学を読んでみたいなあと思っていたので、近いうちに読んでみます。
紹介していただき、ありがとうございます、助かります。