◆騒音の時代◆

 生きるうえで「静かにくらす」時間を大切にしているのだが、それは何も音だけではなく、文字などにも言えることである。例えば電車に乗ると、ところせましと広告が飾ってあってその光景だけで疲れてしまう。百貨店に行けば人は多いし、どこのお店でも音楽がかかっていて、本来受けなくてもいいしんどさが覆いかぶさってくる。インターネットでもそういうことはあって、無作為に流れてくる文字や音がしんどくなる。もちろん四六時中そうではない。ただ他の方と比べたらおそらく、そういったことに対する耐性が著しく低いであろう自負はある。

 そんなときは距離をおくのが一番かんたんで、いっぱい寝たり(大概そういう時はすごく眠い)選んだ文字や音が入ってくること(わたしの場合なら読書とゲームと考えごと)をするのがいい。そもそも一人でもくもくと何かをする時間がすきなので、そういった時間がかなり大事だったりする。以前人間関係におけるバランスの取り方をサンクチュアリと外界といった形で書いたのだけど、今述べたのはその環境版だな、と書きながら思った。

cryin8c10wn.hatenablog.jp

 昔がどうだったかはわからないが、「今は不要な広告や注意喚起の看板が観光地やパブリックな場所にあって却ってうるさいし醜い」とか、「どこへ繰り出しても音楽がかかっていて沈黙のある場所の少ない時代になった」とかいうのをたびたび見かける。余談だが、大学の師もそれについて「騒音の時代」と称して物申しており「あぁ…ほんとうにそうだな」と思った記憶があるし、あえて「騒音」と称したところにも好感を持った。現代はconvenieneだがその反面noisyであり、静かで孤独な時間というものを、意識しないと作ることができない時代であるような気がした。さらに静かで孤独な時間、空間というものを聖域のように尊く、汚されざるものとしてある程度「持っていたい」し、そのための配慮をしっかりやってあげたいな、と思う。

 それに気づいてからインターネットを毎日できないのもそういったところから来ているのかな……という分析をしたところで、文字数が800文字を超えてしまい、前置きと呼ぶにはずいぶん長い。ほんとうはMOTHER2のことを書きたかったのだけど、分けます。

コメント

  1. […] 約3年前に騒音の時代という文章を書いた。久しぶりに読み直して「変わってないな」と思った。ひとつ変わったところがあるとすれば、少しだけ周りに対して攻撃的ではなくなったこと […]

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