◆余暇について

 今週の水曜日、転職してはじめての連休がおわった。金曜日からはじまって実に6連休、とても充実した時間だった。ちょうど9月は働きすぎた疲れから体調を崩し、仕事以外の時間で満ちた経験はひじょうにタイミングがよかった。
 しごとが楽しく充実していること、それはそれで幸運なことだ。ただ、余暇は余暇で、しごとでは賄えないエッセンスが多分に含まれている。

 思い返せば、学生の頃から続けている音楽ゲームは、やりたいことや目標を自分で決めて研鑚することができる。あまり注視していなかったのだけれど、音楽にあわせてボタンを叩くのはなんだかストレスの発散にもなっているようだ。同じ趣味をもった友人もたくさんでき、よいおつきあいをさせていただいている人もいる。
 アトリエも、足を運ぶ回数は減っているものの欠かせない場所である。受容的でありつつもどこか自律的な雰囲気を帯びた空間は、他の場所では得られない経験をさせてもらえる。何かを表現すること、そして誰かの表現したものを見ることは、日常の殻を破るすてきな旅路である。同じく、誰かのつくった展示を見にいくことも非日常の経験ができてたのしい。ただ美しさを追求したものもすてきだし、強いメッセージ性がこもっているものもすきだ。そういう意味では文学を読むことも非日常の体験になるし、どこでもできる強みがある。
 また、フェイシャルエステや、整体でからだのゆがみをととのえるのもリラクゼーション的な時間となる。筋トレやヨガのように「やって効果がある」というのもよいが、たまには「やってもらって効果がある」というのもいい。

 しごと一辺倒だった時間から半ば強制的に解放されたことで、余暇と幸福との結びつきを肌で感じられたような気がする。安定したパフォーマンスのためにも余暇の充実のためにも、やっぱり働きすぎないほうがいい。今回の体調悪化をへて、仕事のセーブについてあれこれ考えているが、「働きすぎると余暇が減る」というのは、抑止力になりうるのかもしれない。

 読んでくださり、ありがとうございます。切り替えが苦手なので「視座を変える」はキーワードかもしれません。

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