◆疲れに対する鈍感さについて

 実は今月上旬から調子が悪く、だるい・抑うつっぽい・悲しみの感情でいっぱいになる・食欲がない・異様に長く眠ってしまうなど「明らかに精神症状だよね」というもののオンパレードであった。精神的な不調は久しぶりで(去年の夏以来だろうか?)、あれこれ試しながらやっとのことで今週末までこぎつけた。経過を分析した結果、「今回の不調の原因は働きすぎによる疲れだろう」ということでおちついた。

 今のしごとは大変おもしろいので、「時間になったので帰ります」ということがなくなった。もともと時間にルーズなので気の済むまでやってしまうし、たのしいことはゲームでもしごとでも過剰に集中してしまうので、他のことがまったく見えなくなってしまう。しごとをしているその瞬間はいくらやっても「楽しい」ため、疲れを発するセンサーは働かない。あれこれ取り組んでしばらく経った頃に、疲れのセンサーがめざめてサイレンを鳴らす。センサーの起動がリアルタイムで起こらないため、原因が何だかわからないことが非常に多い。今回の不調も疲れからくるものだったが、はじめはまったく別の原因を想定していた。

 こういった疲れへの気づきづらさは特性であり「特性そのものをなおす」というのは脳の構造上の問題になるため、ちょっと難しい。それより今後どうしていくかに焦点をあてたほうが建設的であろう。ふたたび今回のようなことが起こると職場に負担がかかってしまうし、業務も滞るし、プライベートの時間にも影響を及ぼすので、不調になっていいことなどひとつもない。

 「無理をしない」と言うのは簡単だが、具体的にどういった対策を講じるべきか。つまらないことはやめやすいが、楽しいことはやめづらい。ここにはなにがしかのルーティンを作る必要を感じており、たとえば疲れのサインが何かを知ったり、「ノー残業デー」的なものや「この日はがんばる」という曜日を決めるなど、時間や曜日といった客観的な基準で区切ったり、効果があればなんでもよい。ただ、その日の気分で捗ることもあればその逆もあり、今のしごとと生活が案外密接に結びついていることもあって、完全に切り離すむずかしさも一方で感じている。

 読んでくださり、ありがとうございます。「ここに書くことを考える余裕がなくなったらペースを落とす」もひとつの選択肢やもしれません。内容がくだらなくとも、長らく書けないことはアンバランス。

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