◆「にげる」コマンドをつくる

 この間しばし、ものを考えたり書いたりする余裕がなかった。先週の土曜は1日中寝込む事態におちいった。実に数年振りで、へんになつかしかった。終日眠っているとからだ全体が痛くなる。

 少し回復してから、あれこれ考えて辿り着いたのは、疲れの原因はしごとそのものというより(むろん、業務量が多いことは処理が追いつかなくなったことから、認めるべきだろう)、今のしごとに合った生活のルーティーンを組めていないことだった。
 わたしはむだのない生活をしたくて、実家を出て以来、常に組み立てたルーティーンをこなすだけで生活がまわり、それが終われば余暇の時間は自由にマネジメントできる、そんな生活をよしとしていたし、それを続けることができていた。同じ時間に起きて同じ曜日に作り置きをして、ルーティーンが回っている間は自動的に生活が回る。ある種のオートメーション化である。ここで考えるリソースを割かない分、自分のすきなことにリソースを割くことができる。

 ここまではよい。ただ、ライフスタイルが変わっても前職と同じルーティーンを運用しようとしていたので、残業をしても料理を作ろうとしたり、疲れていても寝る時間を変えずにいたりした。それによって徐々に生活にひずみができ、やがて朝起きられなくなって朝のルーティーンが回らなくなり、そこから全ての生活が崩壊していった。問題はそこから一切退こうとせず、こなせない自己に責任を求め、なんとかしようとあがいた結果、今回のようなことになった……のだと思う。

 以前より仕事のウエイトが大きくなった今、必要なのは少しの柔軟性、遊びの部分をもつことではないだろうか。これがわたしにとっては新鮮で、というのも、ずっとルーティーンで来たものだから、イレギュラーが起こることなどイメージできなかったのである。しかし、今の自分はまさにイレギュラーのさなかである。悪路をノーマルタイヤで走れば、いつかつっかかって進めなくなる。

 そうならないために、まず、自分の持っているエネルギー量的に、前職から引き継いだままのルーティーンを変えていく必要がある。朝、早起きして何かをする時間はとても有意義だったので本当に残念なきもちでいっぱいだが、できないことをひきずるのは精神衛生上よろしくない。自分のキャパシティを超えたものは、潔く捨てた方がよいときもある。
 起きる時間は以前書いた7時を安定して目指せるようにする(すると、どの曜日でもきちんと間に合うし、生活リズムも崩れづらい)。食事の時間や洗濯の時間など、残業の有無によって流動的になる活動については固定化をやめ、寝る時間についても今までの23:30を基準にしつつも、疲れたときは早めにシフトするなど柔軟性をもたせる。そうすることで、固定された活動が減り「できない」にしばられることも減っていくだろう。既定の時間に既定の活動を、と決めてしまうと、どうしてもそれが気になってしまう。
 加えて、健康な状態で起きうるイレギュラーを予め考えておく。せいぜい、しごとによる残業や疲労と体調不良(身体的な方)くらいで、かつ、体調不良のときはおそらく考えることも、責任を自己に求める余裕もないので、前者のときにどうするか、ということを予防的にもっておけばよいのではないか。まぁ、遅くなればできることは少なくなるし、やる気力も残らないので「やらない」、すなわち「にげる」コマンドを予め含ませておくしかできることはない。これまでは「無理にでも戦線に立ち、ルーティーンをまもろう」としたからひずみができたのである。

 これまでの生活の中には「にげる」というコマンドがなく、それゆえに「にげる」ことを選べずに自身の体調を蝕む結果となった。「にげる」というコマンドを持っておくだけで楽になれば、これほどよい対処方法もない。ルーティーンの変更や切り替えには非常にエネルギーがいるので、これで試してうまくいけば、とってもうれしい。

 読んでくださり、ありがとうございます。「にげる」コマンドのない『星をみるひと』はにげられませんからね。つまり、わたしは『星みる』だった……!?にしても、いろいろなゲームで勝てないときに退くイベントを遊んだはずなんですけどねえ。ゲームを人生に活かせておりません、反省。

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