◆九条の大罪第31審『消費の産物』❹

今週のお話

前話の終盤で登場した亀岡麗子が、性産業にたいする演説を行なっている。「強姦は魂の殺人です。」と、亀岡の依頼人の話が始まる。AVへの出演を強要されたというので、おそらく前話の「揉めている」がここにあたるのだろう。

場面はしずくに移り、バイト先で注意されている。スーパーマーケットの棚卸しをしているようである。「何度も」注意されていることから、仕事の覚えもよくないことがうかがえる。しずくは「何やっても人以下だ。」と自身を責める。修斗にLINEを送ると、店に来ることを誘われる。しずくはお金がないことを伝えて相手の反応をうかがう。すると、修斗は「掛け(売掛。ツケのこと)でもいいからおいでよ」「しずくに会いたいな」と色恋営業をかける。バーに来たしずくは愚痴をひとしきり話し、泥酔してご満悦だ。食事に誘われて喜ぶしずくだが、後ろから修斗が肩に触れると、驚いて痙攣する。見えないところから急に触られると震えが止まらないというしずくを落ち着けるため、修斗はホテルに連れていく。その後落ち着いたしずくは冴えない表情で、「15歳の時脳みそがバグってたの!」と言い、過去のことを話し始める。

「虐待の精神疾患」とトラウマ的なワードを語り出すしずくは、13歳の時にダンス教室の先生に身体的・性的虐待を受けていたという。練習中でもすぐ殴り、練習後に誰もいない教室で処女膜を栄養ドリンクの瓶で破られたり、生理の時でも構わず要求されたという。また、しずくだけでなく、通っていた他の仲間達も同じ目に遭っていたという。ショックが大きいことは頭の中でなかったことになると、主治医か何かに聞いた説明をしずくは繰り返す。そのことについて、しずくは自分の体験ではなく頭の片隅にある感じ、とどこか距離をおいている実感をおぼえている。それが、15歳のときにバスでおじさんに太ももを触られた際に全て自分の記憶として思い出し、頭がバグったのだという。以来、昼夜逆転が著しく、自身の存在や居処すらあやふやになる状態が続く。学校の教師に相談して色々なことが発覚したものの、田舎であったこともあり、母から「恥ずかしいから」と家から出ないよう言われ、自分から誘ったのではないかと疑われたこともあったという。傷ついた自分のことは捨て置かれ、両親も離婚して家庭崩壊してしまったと。自分が今こうなっているのに、被害者はのうのうとダンスの先生をしているという。「殺せるなら殺したい。一生許さない。」というしずくは、正気に戻り、修斗に意見を委ねる。「いや、最高だよしずく。」と言う修斗に、しずくは戸惑う。

そして修斗は、しずくに紹介したい仕事の話を切り出す。しずくは周りの友人がホストのためにデリヘルで稼いでいることを知っており、風俗だろうと冷めた様子で語る。しずくも、何も知らずに歌舞伎町にいるわけではないようだ。しかし修斗は「自己評価間違えるな。」と言う。そしてしずくは免許証を掲げながら、AV女優の面接に臨むのだった……。

感想

今回のエピソードを読んでわかるように、しずくはPTSD罹患者である。PTSDというのは、自分では抗い難い、圧倒的な強い力に直面するなど、強い恐怖感を伴う体験をした人に起きやすい症状である。その度合いは自身で体験を冷静に処理できないほどの強い恐怖やショックである。うまく処理が行えていないため、記憶が濃いところと薄い部分があったり、時間的な順序や因果関係があやふやになってしまうことがあり、これを「記憶の断片化」と呼ぶ。そういった断片的な記憶は、整理されていないがゆえに、非常に不安定である。そのため、ふとしたことで記憶が突然思い起こされ、フラッシュバックを生じることがある。作中でしずくが言った「見えない所から急に触られると震えが止まらなくて……」というのは、記憶を思い起こすきっかけなのだ。15歳のときにおじさんに触られたことも、修斗に後ろから肩に触れられたことも、フラッシュバックのスイッチといえる。

また、両親の離婚も自身の性被害が端緒となり、母からそのことを責められている。この理不尽な責め苦の記憶も、家にいる限りなくなることはない。しずくは、単純に今の家の環境が嫌だという理由だけでなく(もちろん、しずくの家の環境は18歳の少女にとって不適切であることは語るまでもない)、田舎の中学生だった頃からの蓄積を経ている。田舎の閉塞感に対する嫌悪をしずくは繰り返し語るが、むしろ、不安定な自身の存在を、安心して休めることのできる場が全くもって得られないことの方が、しずくにとっては大きいのではないか。PTSDの治療をあまり積極的に進められていないであろう状況の中で、患者たるしずくの精神は非常に不安定で脆い。そんな中で労働をしても、うまくいくはずがない。そこでも覚えの悪さを指摘され、家にも居場所がなく、しずくは自己肯定感をすっかり失ってしまっている。だからこそ、営業だとわかっていても優しくしてくれる修斗に依存してしまうのである。ゆえに、その後「紹介したい仕事」を提示してきた修斗に対して、これまでになくドライな対応をしており、自身の価値を低く見積もっていることがわかる。それに対して修斗が「最高だよ」「自己評価間違えるな」と、しずくを高く見積もる。このときのしずくは、自身の存在そのものについての価値と、商品としての価値というところが混在している。修斗のいう「評価」というのは、あくまでスカウトの目線からでしかない。しかし、色恋営業でそれをマスクしている。それを見抜く冷静さや判断力を欠いているところも、病気の症状と捉えてもよいかもしれないが、加えて、しずくの不遇さからくる不健康さが滲み出ているようにみえる。

また、自身を強姦したダンス教師に対する「一生許さない。殺せるなら殺したい。」と矛先が他者に向かうことは、一見理にかなっているように思うが、しずくの今後を思えば、自身の回復を志す方が優先される事項であり、言わずとも法を犯さない。ただ、しずくにはその希望を見出す先がない。自身を省みるにも、これまでの仕打ちや、本編でみられた「地雷でウザイ」「包帯ぐるぐるかまってちゃんだからキモい。」という言葉による他者からの評価と「くだらない私」「何をやっても人以下だ。」という自己評価の渦から脱却できない。この渦に手を差し伸べた(ように見える)のが修斗なのだが、でしずくから語られるように「商品としての価値しかなかった」とわかり、結果として彼女に殺害されてしまう。しずくは結局、自身を救えないまま罪を犯してしまう、という救いようのない構造になっている。こういった物語の運びや描写は、真鍋先生が得意とするところである。
ここまでのおはなしをふりかえると「消費の産物」とは、その人に備わる、例えばしずくであれば18歳、それなりの可愛さ、精神的な脆弱さ(逃げられるほどの強さをもたない)、といった商品的価値を追い求める一方で、その人のよすがとなる魂のぶぶんに目の向かない概念とみたほうがよさそうだ。この先を追うことで救いは見出せないだろうし、正直今週の話はなかなかのキツさを誇る回だったと思うが、変わらず追っていこう。

さいごに、序盤の亀岡の演説に戻ろう。この演説は、まさにしずくの半生をなぞるような構成になっている。そして、この先AV業界に足を踏み入れていくことを予見するかのように、強制出演の話が出てくる。強制出演になるかどうかはまだ今のところ判断がつかないので深めないこととするが、このあとも演説の流れを意識して読み進めたい。

コメント

  1. […] のよすがとなるのが修斗なのだ。心の底から修斗を信頼しているかどうかは、前話の後半のやりとりをみるにいささか怪しい部分があるが、例えそうでなかったとしても、しずくが「生 […]

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