◆感想『九条の大罪』第33審『消費の産物』❻

今回のお話

早速、どこかのビルでAV撮影に臨むしずく。最近は1日で内容とパッケージの撮影を済ませるそうだが、しずくの作品は3日かけるほどの力作らしい。肯定的な言葉をかけられながら臨む撮影は、しずくにとって、初めて受け入れられた経験だという。

粟生は、スカウトした修斗に礼を言う。しずくに目をつけたのはその生い立ちの不幸さもそうだが、居場所も将来の目標もないこと、そしてセックスが好きなことが理由だという。性的虐待を受けて育つと、セックスにハマるか嫌悪するかで二極化するという。それに対し、粟生はSNSのインフルエンサー、事務所所属のグラビアアイドル、AV女優を比較して語る。さらにAV女優は強さ、いわば細かいことを気にしない鈍感力がないと続かないというが、そうでない子は病むので、しずくのケアは修斗に任せるという。ここで、粟生のプロダクションと繋がっているメーカーがAVの強制出演で揉めている件がでてくる。どうやら粟生はメーカーの者ではないらしい。

京極に紹介されたAVメーカー代表の小山が、九条の事務所に挨拶にやってくる。今回の件について、九条は負け筋であることを正直に伝え、それでもマスコミを巻き込んだ大事にならないようにというニーズの確認を行う。小山は、昔と違ってAV業界もクリーンになり、撮影ごとに契約書を交わすほどに徹底していると語り、訴えてきた白石桃香は出演作が300本を超えており、強制的な出演というのはありえないだろうと九条に問い、白石桃香の現状を共有する。
白石は彼氏にDVを受けており、お金を取られていた。それでも好きだとそばにいたものの暴力に耐えきれず、亀岡麗子に助けを求めたという。どういうわけか、DV彼氏でなくAVメーカーの方に矛先が向き、今のような状況になったというのだ。彼女はお嬢様学校出の、上品で頭の良い子で、メーカーとの関係も良好だったというので、亀岡のような人権屋が自らの主張ばかりを押し付けてきて話にならないという。一連の流れを聞き、亀岡の入れ知恵から今回のような展開になったと推察した九条は、「思想家や活動家はいい弁護士じゃない。」と言う。

どこかの裁判所から、亀岡が九条に連絡している。九条は苗字が変わっても、携帯電話は学生の頃のままらしい。裁判の前に、彼女は九条の娘に言及し、自分の娘がAV強要されていたらどうするのかと尋ねる。扱い難いな、という表情だろうか。九条は答えず、今回の件、すなわち300本以上出演しておいて強要というのがありえるのか?について質問する。彼女は九条に、なぜ反社の弁護をしているのかと問う。弁護人は依頼人を選ぶ権利があり、社会正義のためなら理解できるが、九条がしていることは犯罪の助長だと言う。それに対し九条は「正義の判断を弁護士が下すのは賢明ではない」と答えるが「弁護士の前に人間でしょ?善悪の判断くらい自分の考えでしなくちゃ人間じゃないわ。強者の悪人に仕えたら、いずれ飲み込まれるわよ。」と言い放たれるのであった……。

感想

しずくの様子を見るに、これまでろくに他者から承認されないまま生きてきたことがわかる。また、そのことを知っていて利用する修斗サイドの事情も描かれ、「AVに出る」という現象に対する捉え方の重みの違いがずっしりとくる前半部であった。ここですでに、しずくにとってのAV出演は、修斗への売掛金を払う以上の意味合いを帯びている。しかし、修斗にとってしずくは自身のスカウト料のために消費される商品にすぎない。ここの大きなズレが、❶の悲劇を起こすきっかけとなることは想像に難くない。しずくがこのあとムーちゃんと同じ刺青を入れることや、リストカット痕が目立つ姿になることも、このズレが由来している可能性が高いとみてよいだろう。

さて、ここで出てくるのが亀岡である。今回の文脈からして、白石はDV彼氏のことを相談しにいったが、亀岡からおそらく何か話があって、メーカーを訴えることにした。その理由はお金かもしれないし、勝算の高さかもしれない。お嬢様学校出で頭も良いというので、ベネフィットとリスクを天秤にかけ、合理的に判断したのだろう。しかし、良好な関係を築いていたメーカーを相手取るとは、なかなかのしたたかさがうかがえる。

最初の亀岡の問いは答えに窮する類の問いである。誰だって自身の子どもが、不特定多数から性的対象として見られるような状況は望ましいことではない、というのが常識的な通念である。九条もそれはわかっているはずだし、そう思っているだろう。しかし、これに答えることは九条にとっては無意味である。なぜなら、九条は「道徳と倫理は分けて考える」という規範に則って職務を全うしているにすぎないからである。これは第1審の頃から出てきている話なので、続けて読んでいる方にはおなじみだろう。また、これに答えることで、亀岡の思惑にはまりにいくことにもなるため、九条は裁判に直接関係する質問をし、職業人としての責務を果たす形で返答している。
ただ、亀岡にとって、そんな九条のスタンスは理解しがたいようだ。逆にいえば亀岡は、弁護士という専門職を取り払った人間としての亀岡と、弁護士としての亀岡の道徳や倫理が一致する、ということだ。九条はこれまでさまざまな依頼を受けてきたが、時に人間としての顔を見せたとき、争った相手を不憫に思ったり、気の毒だとこぼしたりする描写があった。このスタンスそのものに異を唱えたのが今回の亀岡なのである。それが終盤の「弁護士の前に人間でしょ?」ということばに詰まっている。そして、彼女は「善悪の判断くらい自分の考えでしなくちゃ人間じゃないわ。」とまで言いはなつ。

ここで個人的な思いとして浮かび上がったのが、必ずしも職業人としての自己と、職業という殻を脱ぎ捨てた素体としての自己が一致するとは限らないということだ。たとえばコンビニの店員やスーパーの店員など、職業的な(ここでは技術的・知識的な、の意)専門性がおおきく問われないしごとの場合、必ずしも「対面する客を大切にしたい」と本心で思っていなくても良心は傷まないし、しごとを進められることも多い。この職業的専門性が高くなればなるほど、職業人としての自己と素体としての自己の乖離は違和感を帯びてくるのではないか。
個人的な話になるが、現在、精神保健福祉の領域でしごとをしている。そこで、じぶん自身の信条と相手の希望が噛み合わないことはよくある。ただ、職業人としては「利用者のニーズを汲み取りその実現に対して支援を行い、より豊かで自分でらしい生活をする」ということがモットーになっているので、そうしている。そこに対してもやもやする場面もあるが、所詮は他人の考えであり、自身の職業的責務を全うしているにすぎない、と割り切る他ないという思いも一方である。
九条の場合は反社会勢力に属する人間の弁護を引き受けるわけであって、わたしの抱いているそれををひとまわりもふたまわりも上回った「道徳と倫理」の分断があるのだろう。どのようにして、九条がそういったスタンスで弁護をするようになったのかなどは気になるところである。

読んでくださり、ありがとうございます。ブラックサンダー、だいぶおとなしくなったなあ。

コメント

  1. […] さて、「思想信条がないのを弁護士である」という職業観をもった九条に対し、亀岡はそうではない。今回わかったことだが、彼女はしごく個人的な出発点から弁護士を志し、女性が虐げられやすい現在の法的構造に立ち向かっている。現在の法律が性産業に対してどんな見解をもっているかなどは、専門的な領域になるので飛ばすとして、彼女は九条とはまったく異なる立ち位置のキャラクターとなる。なぜなら亀岡には弁護士になったきっかけの中に「女性性の不平等を是正する」という思想信条がある。それゆえに依頼人から「男勝り」と評されたことに噛みつき、流木から結婚について聞かれたことをハラスメントだと一蹴し(第32審)、平等性を保とうとするのだろう。その行動がはたして有効なのかどうかは、わたしにはよくわからないところがあるが、実際の案件である白石桃花も雫のAV出演も、当人の利益や望みに関わらず、自身の目的のために合理的な手段を提示して動くのだ。それに対し九条が「承認欲求か。思想家や活動家はいい弁護士じゃない。」(第33審)というのは、彼女の根幹を痛烈に突いている。しかし、今回、直接のやりとりの中では「合理的すぎて相手が見えていないことがある」にとどめ、亀岡もそれに反論している。この言い方はもしかすると彼なりの気遣いが見え隠れしているのかもしれない、とも思う。彼女の弁護士になった経緯を聞いて複雑な表情なのは、それに共感するでもなく、自身とは全く異なった位相にいることを確信しているからではないかと読み取っている。これまで「弱者も含めたすべての人権を守るのが弁護士の役目である」とする流木や「面倒な輩相手に高くふっかけてなんぼだろ!」といった山城(かつては顧客ファーストだったと九条が仄めかしているが……)が登場してきたが、亀岡はまた異なる位相にある。しかし、最終的には雫が九条を評したような「人の話聞いてくれそうだから」という一点に彼が徹したことで、最初自分に依頼が来なかったことについて不服に思う亀岡をうまく丸め込んで別れているのである。依頼の有無を問わず、九条は個人=その人の属性でなくその人自体に向き合うことのできるキャラクターとして描かれている。社員証を出してナンパしてくる男が気持ち悪い、中身でこい!と亀岡は悪態をつくが、まさにそういった中身の部分を持ち合わせているのが九条なのだろう。流木が […]

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com