◆愛する文化をまもる

 あいちトリエンナーレのことがあってから輪をかけて、この国の文化的なもののありかたについて危機感をおぼえています。本がすきなので、本についてもそんなことを思いました。現体制における文化のまもりかたを信用できていない、ということのあらわれなのかもしれません。

 たとえば図書館は公益事業ですから、制度が変われば指定された書籍が消えていくということもずいぶんリアルです。有川浩の「図書館戦争」やレイ・ブラッドベリの「華氏451度」などの小説にも書かれています。電子書籍については、内容更新の際につごうのわるいところが消えてしまうということが容易に考えられます。これは更新のタイミングで語彙がマイルドなものに変わったり、成人漫画のボカシが徐々にでっかくなっていたりする現象などにも表れているのかな、と思います。そう考えると「不適切だ」とみなされた作品が前触れなく削除されてもふしぎではない気がしてしまいます。

 ここ最近は電子書籍と図書館でまかなっていたのですが、大事だなというものはやはり現物で持っていた方がよいような気がしたので、ケン・リュウの「生まれ変わり」を買いました。今後は学術書以外のものも、集めていくと思います。

 いちばん気になっていた「本が場所を圧迫する」という問題に対しては、こたえを先延ばしにしています。ただ理想はあって、自分の職場におけたらすてきだなと思います。イメージは具体的でないのですが、本のある空間ってなんとなく落ち着きますし、もしそこに訪れる人がいれば共有できます。そのためには既存の会社ではたらくより、じぶんで職場をつくったほうが早い気がいたしますが、もろもろの準備がいります。そして、ビジネスの種をみつけないとなりません。「なんでも商売になる」と起業の手引書にはよく書いてあるものですが、やったことがないので当然、商売に転化する発想が根付いておりません。一応、やりたいなということはあるのですが、それがどうなっていくのかはちょっとイメージができていません。

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