リボトリールが増えて以来、すこぶる睡眠が安定している。むろん睡眠のみならず、日中活動にもよい影響が出ていて、いつもよりたくさん文章を書けたり、日常の気づきが増えたり、退勤後の疲れによる寝落ちが減ったり、料理やそうじの効率があがったりと、いいことづくめである。

しかし、ひとつだけ気がかりなことがある。服薬している状態のこの「いい」状態が、はたして「ほんとう」のわたしなのか、ということだ。

もしこれが「ほんとう」であるならば、薬を飲み続けなければ「ほんとう」の状態が安定しないということになる。飲んでいる薬たちはいずれも効能・副作用・依存性ともにあまり強いものではないけれど、薬はたいがい肝臓で代謝されるので、少ないにこしたことはない。また、先々のことを考えてもみれば、加齢にともなって服薬の増える人の割合は多い。20代の現在4種類飲んでいて、さらに血圧だ心臓だなんだと増えていくのはあまり好ましい将来ではない。

しかしもし今の状態が「ほんとう」ではないのなら、服薬していないわたしが「ほんとう」だということになってしまう。わたしは何度か怠薬経験(※医師の指示を仰がずに勝手に薬を減らしたり、飲まなくなったりすること。たいてい調子がよくなってきたときに「もう薬がなくても大丈夫やろ」という慢心が原因で起こる。)があるので、薬を一切やめた状態が「ほんとう」だとするとだいぶ悲惨だ。夜ろくに眠れもせず、悪夢を見て、視線恐怖も復活し、日中の体調も悪い。これに戻ってこそ「ほんとうのわたしだ」と言い張る自信は残念ながらない。

慢性的な疾患に罹った人はおわかりかもしれないが、やはり理想をいえば「薬を飲まずに健全な状態がほんとうだといいなぁ」と一度は思う。しかしどうも、ここまでの流れを見るとかなわなそうである。誰もどうしようもないので、ただただこれはせつない。

このやり場のないきもちをどうするかといえば、わたしは「装備をしている」と思い込む。薬は「万全の自分」を作り出すための材料であり、わたしはそれを利用しているにすぎない。わたしはゲーム脳なので、ゲームに絡めればたいがいのことはちょっとましになる。また、そう思うことによって「薬ありきでよく生きるひと」の状況を想像することもできる。これは現実世界において他者への共感の場面で役立ち、空想ものの小説を書いているので創作のときにも役立つ。キャラクターをつくりやすいのである。

じぶんの弱みばかりに目がいくと心は見る見るしぼんでいく。心の底から「ほんとう」議論に決着をつけるとことはできないけれど、弱みをどうにかこうにかよい方向に転換して過ごしていきたいものである。なにせ治らないのだから。

読んでくださり、ありがとうございます。調子が高すぎるときなんかは「これを飲んで最強になるぜ」みたいなとちくるったことを思いながら服薬します。めったにありませんが。