春先から手伝っていた展示「心のアート展」が終わった。いつもながらアトリエ絡みのできごとは考える種をたくさんくれるので、しばらくはそれにまつわる話を書こう。
展示のときにだけ会えるひとが何人かいる。わたしは人の多いのが苦手なので、絵のタイトルやキャプション(美術館でよくある、絵の説明がちょろっと載っている板のことをそう呼ぶ)づくりなどの細かい作業を別室で黙々とやる。そのため、わたしに声をかけてくれるのは別室に来るひとで、かつ顔のわかる人だけだ。そのなかのひとりに大学の先生がいる。もともとはアトリエに通い、研究をしていた大学院生だったという。今でも研究を続けている。きちんとした家庭もある。わたしは、自分のやりたいことに邁進しながらもキャリアを固めていく彼の姿をすばらしいと思っていた。
しかし、そうでもないらしい。彼は心底「大学の教師でよかった」とは思っていないようだ。大学の内部にはいろいろと煩雑なことも多いらしい。今年ついになにかの役職がついたという彼は「役職がついてしまったこと自体がなんだかなぁ」というような、そんな話し方をした。
おもわず「人生の成功がやりたいこととは一致していないということか」と問うた。ここでの「人生の成功」は、地道に社会のヒエラルキーを上り詰めていくような、いわゆる一般的な「出世街道」のようなものだ。「めんどうくさいことも多い。自分のことをやりたい。」と彼は言った。門戸の狭い大学教員でさえ、そう思っているひとがいる。
話を自分に戻して考えてみる。いわゆる「人生の成功」とは程遠い。そもそも役職がないどころか非常勤、体調のもろさ、急に来る精神の不調、金銭的な余裕もそこまでない。しかし、やりたくないことは一切やっていない。「おもしろい・かっこいい・知りたい」の三原則に沿ってそのとおりに生きている。要するにやりたくないことをするためのがまんがきかない。そのせいで経済面や健康面が不安定。生活の地盤が「やりたい」の犠牲になっているのだ。いっぽうで先生はやりたくないことをするがまんできるぶん、そこの不安定さはずっと少ない(ように見える)。
果たしてどちらがいいのかはよくわからない。しかし、うまくいっているように見える人も不満を抱えているのだということがわかって勉強になった。皆、なやんでいる。無論わたしも。いろいろな人生に、いろいろなことがある。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。生活の地盤はほんとうに大事なんですけどねえ、やりたくないんですよねえ。
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