街のお店をさがして回るのがすきだ。すきな街であればあるほど、個人経営のところに行きたいと思う。わたしは立川がだいすきなのだが、チェーン店にはほとんど行かない。
事業主はなにか思うことがあって個人で店を作ろうとするので、自ずとそこにはその人の物語や哲学がにじみ出てくる。そういうのを読んだり、直接聞いたりするのがおもしろい。他で味わえないものが出てきたり、その店ならではの雰囲気が出ているのもよい。主客の関係が適度に適当なこともあるので、肩肘を張らずにすむのも気楽だ。
もちろんチェーン店にも創業や営業に際した物語があるし、そういった記事を読むのはすきだ(二年前くらいに日経トレンディに連載していたセブンイレブンの記事はかなりおもしろかった)。しかし一方で、創業者の世界観を意識して従事する店員はそう多くない。責任者サイドは接客マニュアルしか見せないことのほうが多いだろうし(個人の経験による見解です)、従事者としてもそのうち辞めるので興味もないといったところだろう。そこのところのこだわり具合というのが、チェーンと個人店だと大きく異なる。
しかしこう、チェーン店しかなくなった世界を思い浮かべるとたいそう不気味だ。RPGツクールのスターター素材を無作為に配列したような町並みができてしまいそうだ。どこのテナントに入ってもNPCのごとき台詞で出迎える顔の店員がおり、それを当然のこととして認識する客がいる。全国共通の味付けがあり、それがチェーン店の安定感であり売りなのだけれど、やっぱりそれだけでは物足りない。どこに行っても同じ店が立ち並ぶ地方都市の風景にも、同じような恐怖感がある。世界は既にNPCの街になりかけていると、はたと気がつく。
昨今、個人店の経営はなかなかたいへんなことだと思う。だが個人店のある街は歩いているだけで、それぞれの世界観が垣間見える。23区外でいうと吉祥寺なんかはその最たるもので、街自体がさまざまな価値観を含有した、なんともいいがたい豊かさ・おもしろさ・奇妙さを放っている。立川は吉祥寺にはとてもかなわないけれども、立川なりの器と豊かさを持っていたままでいてほしいな~と、いちファンとして思う。個人的にはカフェがもうちょっとあるとうれしいのだけれど、立川はどうみてもカフェ文化ではないしなぁ。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。気に入っている個人店たちをしっかり文章にできたらすてきかもしれません。彼らのこだわりというのは、たいへんにエネルギーある、尊い意識だと思います。
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