【映画】『どうすればよかったか?』感想

かねてより気になっていた作品だったのだが、なかなかきっかけを作れないまま早2ヶ月。一方、いよいよXの使いづらさや運営の横暴さに嫌気がさし、Blueskyのアカウントをひらいて本作が再び目に入った。あ、今観に行こうと即予約、翌日に足を運ぶ。いろいろな感想が溢れるところで、まとまりはないかもしれないが、思ったことを書き連ねてみよう。

あらすじ

1980年代後半、20歳そこそこで統合失調症を発症した姉をめぐり、両親は家に閉じ込めるという形で数十年を過ごす。弟(本作監督)は医療へつなげようと説得を試みたが実ることはなく、上京する。映像制作を学び、弟は帰省のたびにカメラを回し、その様子を追うようになる……。

感想

ざっくり全体

どうしても精神保健に関するしごとをしているものだから、およそ20年ごしにしっかりと固着した症状の痛ましさや、長らく医療に繋がらないことによる寛解の光が潰えかけていること、それでいて、これでよしと放置する両親のグロテスクさに怒りと、胸を痛めた。この気持ちはきっと監督も似たようなところを感じていたのかなと、最後の父親とのやりとりを見ていて思う。あわせて、ラストシーンにおける「どうしたらよかったか?」という問いに対して、身体もすっかり老いた父から「失敗だとは思っていない。」の一言は確固たる呪詛だ。これこそが、この作品を鑑賞者にすら強く問いかける作品になったんじゃあないかと思った。

視点

最初、カメラはふるえている。距離感もはかりかねているような印象があった。統合失調症者の陽性症状に立ち会って、専門職でもない限り最初から距離を詰められる人はまれだろう。家族とはいえど「ふつうの」反応だと感じた。もう10年前になるのかな、病院の実習で急性期病棟に入ったときの「どうしたらいいんだろか」という、未知にたいする自身の無力さを思い出す。まぁ実習だから何もできないな、と気づき、どうするとちょっとでもいい方にいけるのかなということを考えることなのかな、と今になって思う。

話がそれた。最初もふくめて、カメラの視点は姉と同じくらいの高さか、もう少し低い。これは姉の変化に愕然とはしつつ、病者としてではなく、まずは家族として受け入れている姿勢のあらわれなのかな、と感じた。中盤あたりかな、カメラから覗く弟にまったく目線をあわせずにいた姉が、声をかけられて、少しだけ目を向けるシーンがある。そこに「ありがとう」と伝えるシーンが、姉に届いたかどうかは定かではないが、その瞬間だけ、同じ世界へと戻ってこられた、と弟としても感じられたのかなと思うと、染み入ってしまった。また、未治療期間が延びていけばいくほど、姉の視線の遠さは果てしなくなっていくなとも思った。この世界にいないような(実際いないのだと思う)。そんなこともあり、2000年を大きく過ぎて、医療にようやっと繋がって会話が成立するようになったときといったらないだろう。少し、姉を撮る距離も近いものが増えた、ようにみえた(たまたまかもしれないが)。一方で、両親の接し方は大きく変わらず、そこに家族の不気味さがある。

両親

両親については、最初の母親のさけびがぜんぶなんじゃないかなと思ってしまう。老いてきて時間も経ち、母については認知症のうたがいもでてきているということだ。父との最後のやりとりにおいても、母の叫びほどではないが、同じようなことを考えていたのかなっということがわかる。母の妹についても、母の死後にインタビューがあるが、精神病者を閉じ込めることの肯定がみられる。

今の時代のわたしたちからすると「ありえん虐待やろ」と思うものだが、最初の家族の紹介で父は大正のおわり、母は昭和初期生まれということで、その当時の背景も考える必要があるんだろうかと頭をよぎってしまった。自分の祖父母がこの両親の世代で、たしかに精神疾患に対する解像度はそんなものかもしれない。

ただ、異なるのは両親とも医学の専門的な教育を受けていたということで、それをもってしても、ああいった異様な状況に対して、一般人とさして変わらない態度で姉にあたっていたという事実である。日常の中のものとして、しまいには「麻薬が切れて暴れているのだ」という、はたからみれば、単なる病気の発症の域ををこえた、いびつなストーリーをつぎはぎしている。弟の憤りを必死でおさえる声も、イカリングをビールにつっこむことがめでたいのかと、事実をもとに反証をしていっても、崩れることはなかった。

一方で、母の認知症がでてくると、そのついでのように姉が医療につながることの許可がでてくる。そこに、医療にあっさりつなぐ病とそうでない病の区別が両親の中にあることが明らかになる。発病して20年経ってから治療にようやっと手が届いたのは、遅くとも確実に救いだったったろうが、やはり、遅すぎるのである。弟はすでに30年前に気づいていたことだったのだから。

ここに両親の異常性と、きょうだいの苦労がとてつもなく大きなものであったことがうかがえる。また、ここまでのことについて、映像として見てもらうことをあっさり了承する父の姿もおそろしかった。監督も、ダメというかと思ってたけど、と口にしている。姉が死んだから、過去のことになったのか?あれだけ秘匿していたのに?

時代のこと

姉の発症した年代(1980年後半)はまだ、序盤の録音からもわかるとおり、統合失調症は精神分裂病とよばれ、世間的な印象としても、なんだか得体の知れない病気として扱われていた。とはいえ、精神科病棟における、医療者から患者への暴力事件が明るみになり、徐々に1980年代半ば以降は精神障害者の社会復帰にむけた法整備が順になされている渦中でもあった。私宅監置(家で患者を座敷牢に閉じ込めておくこと)の廃止は1950年にとうに行われており、世代・時代的にも両親の行為を肯定的に捉えることはやはり、難しい。

では、どうすればよかったか?

難しい問いだ。答えがあるのかというよりは、観た個々人が考えることが重要だろう。

ソリューション的なところからアプローチするならば、第三者の介入できる機会をつくることがいちばん手っ取り早いのかな、とは思う。それこそ、姉が叫んだときに実は弟が警察を呼んでいて、医療保護入院になるなど、そういったことが想定される。映像証拠も十分にある。家族の中で持っているだけでは進まない問題だったように思う。

もしくは、弟が保健所や、精神保健福祉センター等の機関を利用して姉について相談してみること。ただ、北海道という広い土地においてどれくらいの資源があるのか、また自宅からのアクセスがどうだったのかなどはちょっとわからないので、これは軽率な策かもしれないが、ドキュメンタリーの半ばからはインターネットによる情報技術もめざましく発展していた時期であり、調べてアクセスすることは、弟のリテラシーからするとできたんじゃあないかと思う。

映画のエピソードが全てとは思わないし、もしかすると上のようなアプローチもとったのかもしれないが、家族の中のこととして抱え過ぎてしまったことが、「どうすればよかったか?」に対する問題の一つなのかな。

脱線した感想

この家族だけではない「今」の問題である

前半は最初に書いた感想のようなことを思いながら見ていたのだが、姉の陽性症状の顕現をみているうちに、時々通勤の道にいる、おそらく、統合失調症であろう女性のことを思い出す。見かけるときは道端に座って静かに独り言を言っているか、袋の束を持ち歩きながら見えないものにむかって怒っている。腐っても東京23区、精神保健福祉については日本の中でもっとも充実した地域といっても過言ではないだろう。それでもそういうことが起きているのである(バックグラウンドなどは全然わからないので、どう評価するかはむずかしいのだが……)。

この作品を、この家族のことだけでなく、今にも通底する「どうすればよかったか?」なのかもしれないと思うと、非常にこの作品のもつメッセージの射程は広がるのではないか。過去の問題、いち家族の問題としてこの映画を観るのではなく、今、ここでそうなりそうな・なっている人がいたときに、「どうすればよいのか?」そういったことも考えながら行動をしていくことが、最終的にはこの映画に対する答えになるのかもしれないな……というのは、専門職の視点からみた驕りだろうか。

「どうすることに決めたのか?」(昔話)

観ていてもうひとつ思い出したのは、高校の途中あたりから父がおかしくなり、対応に戸惑ったことがあった。結果的にいえば双極性障害の端緒で、躁転がものすごく極端に現れたのだが、その間、家が空中分解しそうになった。細かいことをいうと、その頃母親もマルチ商法にすっかりはまっているなど、複合的な要因があり(今ふりかえると、母も母ですがる先が必要だったのだろう)、受験を控え、家庭に頼るには不安な状況になっていった。自宅にいると頭がおかしくなりそうだったので、できるだけ塾に早く行って遅くまで勉強をしたり、ゲーセンにいったりしていた。暮らしの基盤も大学に入り、後半になって授業が減ってくると、祖母宅やヒモ、ルームシェアをへながら、ここ5,6年はひとりぐらしをして、家との距離をとって過ごしていた。今はきょうだいと一緒なら帰省できるかなという程度には回復してきており、最悪の結末は避けられているのかなと思う。

当時のことでよく覚えているのは「精神疾患についてばくぜんとしか知らず、いざ近くで起こったときに危機的状況になったので、もう少しよく知っておこう」というのであった。それで、今のしごとをしている側面はある(まともに新卒の就活をしなかったことも大きいかもしれないが)。いろいろな人びとの様相をみながら過ごす日々だが、それも私自身の「どうすればよかったか?」に対する回答なのかもしれないなと思う。

作品のことに戻ろう。その後、監督は実家を離れて映像作家を志し、状況を記録していこうと考える。その、思いの強さと、両親に対してくってかかるではないが、状況を変えようとアクションを起こしていく姿勢がとても印象に残った。自分は尋ねるも向き合うもなく、向こう15年ほど逃げることしかできなかったからである。そういった側面からも、この100分近い映画におそれおおい気持ちでいっぱいになった。

結び

しばらく(もう7,8年になるのかな)この業界に身を置いていて、今後の身の振り方にも少し悩みつつあるところで本作を見ることができ、、観たのが今でよかったのかもしれない。しかるべきタイミングにしかるべきことは起こる。

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