◆ほんとうのオフ

この週末は一泊二日の旅に出ていた。いつもの観光や慰安とはいささか毛色が異なる。歴史学習、といえば適切だろうか。学びを得に行くのでとうぜん、ふだんの旅とくらべて集中している。そのぶん受ける刺激も多い。質量ともに十分すぎたそれは、一日でわたしを疲弊させた。じっさい二日目はほとんど意識が外に出ていたというか、集中力がぷっつりと切れて、隙あらばねむってしまっていた。

きのうは平日だが、休んでおいたほうがいい気がしてあらかじめ休みをとっておいた。これが大正解だった。起きてすぐだというのに、既にからだの中のエネルギーをすべて吸い取られたような心地がして、なんにもする気がおこらない。ふだん意識しているはずのごみ出しも忘れ、ふたたびねむった。目が覚めたのは昼前。遅い朝食を取ってエッセイを書いて小説の原稿をなおした。今ふりかえると、よく書けたなと感心してしまう。完成度はともかく。そのあとは申し訳程度に散歩をしてから、ポケモンの対戦動画を見て過ごした。なんにもやりたくないとき、受動的なメディアは勝手に展開していくのでうれしい。うちにはテレビがないので、こういうときはだいたいyoutubeを見る。ポケモン動画は尺的に短いので疲れたあたまにはちょうどよく、読み合い(実力)と運のバランスもよいので先の見えない楽しさがある。自分が本腰を入れていないコンテンツということもあって、完全にいち視聴者として見られるのもいい。音楽ゲームだとこうはいかない。

気がつけば寝る時間が迫っていた。あわてて入浴し、ふとんに入る。エネルギーの枯れたからだを、なんとか持たせることができた。ほんとうにからっぽのときは、こういう過ごし方でいいのだと思った。遠出せずとも何かしらやっていたじぶんの「オフ」は、全く「オフ」になっていなかった。世間のひとが休みの日を「オフ」と呼ぶのはこういうときを指すのだと、じぶんの電源を切ってみて、ようやく実感したのであった。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。わたしがいろいろやっている傍らで休日の日差しをあびながらごろごろしている同居人は、ちゃんと「オフ」になっているのだなぁと思います。これまであんまり観察してこなかったのですが、じつは見習うところが多いのかもわかりません。

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