「きのこの山」と「たけのこの里」という有名なチョコレート菓子がある。愛好者の中には、果たしてどちらが優れているのかということを(あくまで傍から見ると)ネタ的に争っており、毎年その光景がTwitterで散見される。
わたしはきの・たけにこだわらず食べているので争いを楽しく拝見しているのだが、たけのこを自分で茹でてからそもそも争い自体に対する見方が変わってきた。きのことたけのこ、あきらかに住む世界が違いすぎはしないか。
まず、きのこ・たけのこそのものの値段である。現代社会の大半は資本主義がまかりとおっているので、金銭的価値はだいじだ。きのこは卵とおなじく一年を通して価格の動きがすくない「節約の味方」だ。一方たけのこは春にしか出荷されず、値段も決して安くはない。この時点で、たけのこの方が価値としては上に置かれている気がする。じっさい「たけのこの里」に使われているビスケット部分は「きのこの山」のいしづき部分のようなチープ感がない。その証拠に公式サイトを参照すると「きのこの山」のほうが4g多く入っている。つまりこの時点で、明治製菓さんの「たけのこの方が質的に優れているのですよ」という意図を嗅ぎ取ることができる。
次に季節だ。きのこは秋、たけのこは春のものだ。四季のなかでも比較的過ごしやすい二者をぶつけあう気概が、明治製菓さんから感じられる。夏と冬ではなく、春と秋。パッケージの背景を見るときのこは黄色(紅葉?)、たけのこは緑(新緑?)である。単なるチョコレート製品としての争いではなく、季節という大きなものを背負って勝負に出ていると深読みしてみると、どちらも応援したくなるのが人情というものだろう。
しかし、考えているうちに論争以前の疑問も浮かんできた。チョコレートは冬の時期がいちばん売れるという統計がある。にもかかわらず、ビスケット部分にあと引くしっとり感をもった「たけのこ」に春の印象、さっぱりとしたプレッツェルの「きのこ」に秋の印象がついていることに構造的欠陥を感じる。ふつう、逆ではないか。「きの・たけ」のビスケットとクッキーがいまさら反対になったところで違和感と批判殺到は免れないだろうが、やはりなにか釈然としないものがある。
両製品がこういった矛盾を抱えること自体が、現代社会の孕んでいるさまざまな問題を浮き彫りにしようという、明治製菓さんの思想的なねらいなのだろうか。否、そこまで考えて商品を作っている製菓メーカーがあれば、ぎゃくに尊敬ものである。明らかに、開発チームに強い哲学を持った人がいるとみて間違いない。本当にそういった人がいたらおもしろそうだが、そこまでアクの強い人間はおそらく、こういったところには採用されないだろう……。
そもそも、大手メーカーのチョコレート菓子のなかでブルボンさんの「アルフォート」が一番すきなくせに、他社製品に手を出してしまったのが過ちである。それゆえに、このようなわけのわからないエッセイが爆誕してしまった……。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。今までの中で一番意味不明なきもちで書きましたが、ひさしぶりに妄想を炸裂した記事が書けてたのしかったです。
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