前の文章で、おぼろげながらも小説を書きたいという話にふれた。しかし、書きたい物語がパッと浮かぶわけではなく、ばくぜんとしているので、アイデア出しをする時間を休日設けてみた。時間にして30分から1時間くらいだったと思うが、日頃そぼくに感じていることから架空のお話を広げていくのは形にならずとも、とても楽しかった。明らかに無理のあるものも出てきはしたが、普段あまり気に留めないというか、気になっても深掘りしないことを自由に見つめられた気がする。
逆にいうと、それらを見つめたり、深めたり、広げたりする営みというのは、普段の生活だと封印されているような感じがした。しごとをしているときは、他の気になったことに目を向けるどころではないし、しごとモードで1日過ごしていると、労働一色で終わってしまい徒労感がつのる。そのモードを解除し、自由に空想するのが今の自分にとっては、頭を「ひらく」ような感覚があった。ここからものごとが広がっていくことは日々の生活で味わえない気持ちよさで、まんがで言えばカラフルな背景の中で縦横無尽に飛び回るようなひとコマであった。この「ひらく」感じが平日にできると、ゲームしたり創作したりのシフトがスムーズになり、生活にメリハリをつけやすそうである。
これを書いていて思い出したのが、今の服薬の中に、そういった頭が「ひらく」感じを「ひらかない」ようにする薬が出ていることだ。なにせ、あれだけ学生時代の授業中に空想や関係ないことをしまくって過ごしていたのだから、ひらかずして社会生活が成り立っているのは薬のおかげ、と言われても違和感はない。ただ、作ることを考えると、絶対にない方が頭はひらきやすく、もし、一旦服薬をやめてみて問題がなさそうであれば、再びつくるためにやめてもいいのかなーと思った。ただ、今の感じがこれでできているのであれば、猛烈にミスや物忘れが大発生しそうな気もしており、両獲りできる選択肢が本来は望ましい。
読んでくださり、ありがとうございます。先日もゲーセンに財布を忘れたばかりでした(無事でした)。でも、薬はちょっとずつ減らして様子をみたいな。
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