■潔癖たる功罪

まいにち暑い。熱中症予防の喚起がごみ収集の車からアナウンスされて久しい。36度あたりを超えてくると皮膚刺激として痛みが入ってくるし、RPGなどで砂漠の街にいくとゆらゆらと蜃気楼がでているエフェクトが入っていることもあるが、外がそんなふうにみえてくる。

重度の熱中症になると、脳に重い障害が残ってしまうこともたびたび報道されている。一度変性した脳が元通りになることはなく、改めて大事な器官だと思わされるとともに、その不可逆さがこわくもなる。

気分傷害や統合失調症といった精神疾患や認知症も、神経性疾患として脳の変性に数えられる。これらも完治は今のところなく、食い止めるか進んでいくかしかない。この「完治のない」ことを知識としてわかっていたとしても、社会のもつ「こうあるべき」といった潔癖さの要請は2,30年前より和らいだといえど、いまだに根強く、建前上受け入れることになっていても、そうでない人々をもとめる向きがあることは疑い得ない。テクノロジーの発展は人間にやらなくていいことをもたらした一方で、労働環境において対人コミュニケーションを請け負うところまでは至っていない。対人関係は人を磨耗させる際たるものであり、経済情勢が苦しくなっていく中、共働きも増えてきている。さらに、未来の労働人口の減少をみこして、障害者や外国人の雇用も国によって推し進められており、より多様な人々を受け入れつつ、円滑なコミュニケーションを図っていかなければならない。そういった社会構造の中で、社会的コミュニケーションに課題をもった発達障害圏の人々が続々と掘り起こされ、メディアにも取り上げられるようになった側面もあるように思う。これまでの社会構造においては、そういった人々がいても今ほど問題にならなかったのである。

少しよけいなところまで広がったが、この精神の変容が誰にでも起こりうる社会の中で、もう「完治した強者」ばかりを求めるのはやめにしないか、という気持ちがある。そう思う側の気持ちやメリットはわかっているものの、人間の強さばかりをもって振る舞うことは、やがて衰弱した自身が呪われることになるんじゃあないかと思わんばかりである。さまざまな人を受け入れていくことには困難も多いが、最終的に強さの鎧を脱ぎ、柔らかい部分をいかして生きていくことは、いろいろな人がちょっとずつ楽に生きていけるのではないかと思っている。

読んでくださり、ありがとうございます。今のしごとをはじめたのも「そういうこともあるかもしれないから知ってみよう」という異世界(専門は哲学なのでした)飛び込み競技でした。

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