人と会ったり、話したりするのはすきです。ですが、毎日やってるとつかれます。
人にはキャパシティがあって、人間関係の耐性もおなじです。ここでの人間関係は仕事を除きます。仕事の中に人間関係の処理も入っていると考えているからです。幸い現在の職場が荒れておらず、リソースを割かなくて済んでいるのもそう思う要因でしょう。
人は、一人でいるときに聖域にいるイメージを持っています。そこは静寂と清浄の庭で、暑ければ風が吹き、寒ければ太陽が輝くような場所です。そこにはわたししかおりませんで、のんびり過ごしています。
人と会うときは、そこから出ていきます。家を出て会いに行くのと似ています。そしてどんなにいい関係の人であっても、帰るときには多かれ少なかれ疲労します。
聖域に戻ると自分の時間、すなわち好きなことをしたり、自分と向き合ったりする時間です(やりたいことメモで書いたことは大体聖域での行為であると気づく)。この聖域と外界のバランスを取ることが、人間関係を円滑に保つコツなんじゃないかなーと思っています。自分以外の存在はリズムを調節できないからです。どちらかが歩み寄ったとしても解消できない何かが孕んでいる気がします。どこかで「完全に対等な関係というのは築けない。そう見えてもどちらかが譲歩したり、気を遣っているのだ。」というのを読んで、はげしく同意したことを思い出します。人と会ったあと「わたしの流れに合わせてもらってしまって悪かったなあ」というときが正直あります。それは相手が「悪かったなあと思わなくてもいいのだ」と言ったところでどうにもならない問題で、「合わせてもらったことに気づいた」時点でおしまいなのです。逆のパターンもしかりです。これが起こるのは人間が別々の個体であるかぎり必然の事象なので、あがこうとは考えなくなりました。
そんなふうに人間関係のキャパシティが大きくないので、具体的にいうと週に2,3回同じ人と会ったら精神がもたなくなりはじめます。「会う」というのはちょっと立ち話するレベルではなく、約束していくぶん時間を割くレベルを想定しています。どんなにいい人でも、楽しくても、自分の聖域がないと潰れてしまいます。人間関係で疲れているときは極端に引きこもっているか極端に外に出続けているかのどちらかなので、そんな結論になってます。
この三日間出づっぱりだったし、夏コミ自体は知りあいじゃないけれど人がわんさかいて目が回ったし、珍しく3日間都心にいたしで、とても疲れました。それぞれ楽しかったのですけれど、楽しさと疲れは正比例ではないのです。ゲームがいくら楽しくても、48時間ずっと稼働し続けられないのと同じです(若ければ可能かもしれない、もう無理)。
折角わかっているバランスの取り方ですから、今後改めて大事にしていこうと思った三日間でした。何より他人が絡むことがらなので、気をつけないと影響が自分だけで止まってくれないのがこわい。あと、断るのヘタだからうまくなりたい。
ということで聖域にいたいのは自然なこころの動きなのかなと思っています。そうでなくても、単純にカラダガモウドボドボダ…。
さいごに、夏コミのことは今週前半に軽く触れます。人が多いだの暑いだの文句たれましたが、それ以上にいろいろな発見があった気がします。
にしても、疲れからかいつも以上にひっちゃかめっちゃかになってしまいました。
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