◆独立記⑩「ぼくの座標を打ちなおす」

大掃除を通して、堆積していた時間が動き出す感覚がある、ということを書いた。

掃除をして掘り出すして再び出会うまでの時間の厚みは当然、それまでの自分と同じだけの時間が経過している。久しぶりに会った親戚が存外に大きくなっているときというのが、さいたるものだろう。普段観測できる世界に存在していないと、かんたんにそのようなものとして認識してしまうようだ。なかでも、しばらく会わないうちに病気をしたり、何かあって豹変していたりすると、ぽっかり空いた時間の幅とでもいうのか、はっとする。

掃除のあと、今の会社に転職するまでに少しだけ働いていたバイト先に行くことがあって、最後に会った時より(6年くらい前だろうか)店主さんのお元気がなさそうであった。秋の深まる頃だっただろうか、「今じゃないと間に合わないかもしれない」と思わされた。同時に、別件で雑談していたこと、海外にどんどん流れてしまっているアーケード筐体の保全についても、ちょっと危機感をもっていた。直接店を運営するというのは到底できそうにないが、行政的な手続きの範疇で力になれることがないかどうか、改めてきちんと検討したいと考えていた。ちょうど、今のしごと辞める話をしようかなと考えていたところだったので、今一度背中を押すきっかけとなった。

やはり、会社と個人は別個の生き物で、群れからはぐれて旅をするタイミングが徐々に迫っているのだと思った。自分が「ここだ」と感じる場所はそのときそのときで異なるが、ライフステージやキャリアの掛け算をして、方々での経験をつみあげていけるような状況であれば、いいのかなーと思う。

読んでくださり、ありがとうございます。改めて人生の有限を感じるできごとでありました。どうしようもないことも中にはありますが、できることはしてまいりましょうね。

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