◆独立記③「ぼくは一度立ち止まる」

この夏は、以前よりもモチベーションが下がっているのが自分でもよくわかった。体調不良で休んだときの申し訳なさが以前と比べてだいぶなくなっていたし、復帰したとて「一生懸命やろう!」とはならず、気持ちが離れているのを感じた。だからといって手を抜くわけでもなく、いつもどおりやっていくのだが、どこかそれは機械作業のオンオフに近いようなものがあった。

特段、職場環境が変わったわけでもないが、ひとつは「自分の人生のフィールドはこのしごとだけじゃない(他のフィールドの仕事もしてみたい)」という思いと、「別に自分じゃなくてもいいか」という気づきである。自身のスキルの頭打ち感もあるが、その他に、と考えると、このふたつが大きかった。

ひとつめは、障害福祉以外の世界もじゅうぶんおもしろく、どこにコミットしていくにしてもおもしろいかも、とここ2,3年感じており、そういった世界のことも知りたいと思ったこと。かつ、行政書士の領域は今かかわる障害福祉とも司法・制度面でかかわることができ、同じ界隈を別の視点から見ることができ、それもおもしろいかな、ということである。それを元に福祉の臨床に戻していってもいいのかもしれないし、等々。ひとつの世界に邁進することは理解や技量を深められる一方で、視野狭窄に陥りやすかったり、技量が頭打ちになったときに詰んでしまったりする。自分の場合は後者で、詰んだうえで別のスキルをくっつけるというのがキャリア戦略的なところになる。よく言えば。

ふたつめは、まさにモチベーションの低下といって相違ないのだが、「ここで全力はもういいかな」とシンプルに思った。まぁ、これはどのしごとをしても起きてきており、これまでは①障害福祉やるからやめよう→②きてみたけど内容つまんないな、と職を変えてきた。では今回は何かというと、現在の労働環境でこの先も生きるのはふつうに嫌だなというのがひとつ、上に書いた「そうじゃない世界」やってみたいもひとつ。前者は最初からうすうす感じてはいたが、自分の気持ちは脳から直列なのでうそがつけず、くっきりとそう思ってしまうならそれはもう覆せないので、仕方ない。

責任感がないとかいわれてしまうかもしれないが、会社も組織で、自分がいなくなったところで回ることはわかっているし、そういったこともうまく乗り越えていい感じになっていくことがある(し、実際あった)。これまでがしごと第一でいきすぎていて、今くらいが健全さも保ててちょうどいいのかなという気もした。病で臥せったあとは結構今回のような気持ちになるのだが、気づけば走り出してしまって日常に戻っている。今回ばかりは一度、立ち止まっているような気がする。

読んでくださり、ありがとうございます。如実にこの数年はモチベーションが落ちていて、観察のしがいがあるといえばあります。珍しく元本となるモチベがめっちゃあったんだろうなという意味では、人生の中でもレアな時期だったのかもしれません。

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