近場でも旅先でも、地図をみるのがすきだ。Google Mapもそうだし、昔ながらのタッチで描かれた看板の地図があると、近所の人でもないのについつい見てしまう。なかでも「○○商店」なる個人店が生き残っているのをみると、画一化されたショッピングセンターに圧されつつある地方都市では、とくに嬉しくなる。○○さんはきっとこの土地で何代か生きてきた一族で、商店の看板を今も守っているのだ。応援したくなるほかない。

じっさい街を歩くときも建物のならびかたや車道の数、人の往来などをなんとなく眺めている。そもそも人はいるのかいないのか、いるならどんな人がいるのか。観光地なら別の土地の方言や国語がきこえる。はたまた自転車が多いから坂は少ないのだろうとか、女性が多いから女性ごのみの店が多いところなのだろうかとか……見るところはいっぱいある。そして無意識のうちに「創作で出したこの街はきっとこういう感じだろうな」「この交通量の多さはあの国の中心部のそれと似ているな」と、自らの創作世界に入り込んでしまう。

いつか、創作世界の地図を描いてみたいと思う。実は文芸同人「かもめソング」に載せている小説はすべて同じ世界の異なる時代・場所の話で、わたしの頭の中には星の歴史と地図があり、それぞれの町の景色があり、登場人物の系譜がある。自分でも忘れてしまうくらい情報がいっぱいあるので作るのには苦心しそうだが、わたしにとっては今を生きているこの現実世界と同じくらいの重みを持って創作世界が息をしているので、なんとか実体にしたいのである。

こういった架空の世界の地図を「空想地図」という。昔からこの文化はあったようで、調べてみるとなんと『古事記伝』で有名な江戸時代の国文学者・本居宣長が描いていたという(参考:togetter.)。調べてみると「人文地理学会」なる学会の研究発表でも宣長の空想地図はテーマになっている。さらに、現在も空想地図づくりの活動をしている方がおられる。名を今和泉隆行さんといって、サイトを見ればおわかりになると思うが、実在の街だと言われても違和感のない完成度である。あまりにおもしろすぎて、閲覧していたら家を出るのが遅くなってしまった。

自分の作るものは上に挙げたものほどしっかり作れないけれど、大切にしている世界だからこそしっかり描きたいというこだわりと勇気をもらえた前例であった。ゆっくりじっくり育てていきたい。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。頭の中にある世界がぜんぜん文章に表れていないので読者に伝わっていないだろうな……というのが、わたしの小説の残念なところです。地図を書く前に文を磨けと言われれば、ぐうの音も出ません……。