久しぶりに文章の話。いつぶりだろうかしらね?

日々を過ごすなかで、書きたいトピックはたくさん見つかる。今までは即・書き出して投稿していたのが、今月に入って少し変わってきた。ひとつは朝のエッセイのあとに別の記事も書いていたのだが、それがぱたりと止んだ。もうひとつはエッセイを書き終えても違和感をもって全部消してしまったり、または書いている途中でしっくりこずに路線変更したりすることが増えてきた。さらに、はじめは30分から45分ほどで書くと決めていたエッセイに、1時間かかってしまう日もでてきた。さすがにこれに1時間は長いので超過しだい予約投稿して家を出るのだけれど、消化不良の感はぬぐえない。

思うに、これは読書週間がついてきたことの証だ。まいにち本を読むのをはじめてそろそろ2ヶ月、短編ばかりとはいえ、なかなかの量になってきた。読後の感想はEvernoteに書き溜めており、通番を見ればきのうで42だ。はじめの方は読む習慣がなかなかつかなかったことや、長編や専門書は別で感想を書いているのもあって、じっさいの日数より少ない。

豊かなことばの旋律に心を打たれ、触れたことのない文化の引用に無知を自覚し、めくるめく展開に必死で食らいつき、読後の余韻にしっとり浸る……。先日本を譲ってくれた友人の手紙に「私は言葉と出会うために本を読んでいる」という一節があった。もしかするとわたしも、そのエッセンスを少しずつ感じ取っている……のかもしれない。

今は、いざ自分が書けば「やっぱりちがう」ものができる。この欠損の自覚が、わたしのことばを押しとどめてしまう。しかしこれに屈して書かなくなってしまうというのは絶対にいけない。筋肉がつかないからといって、筋トレをやめてしまうのと同じだ。自らの無知を穴があくほど見つめ、さまざまなものに触れて視座を広げねばならぬ。それから嫌気がさすくらい書いて書いて書きまくって、邁進してゆきたい。

朝のエッセイは今後も基礎鍛錬として続けながら、どうにか躊躇せず他のことも書きたい所存である。不全感の傍らで、ことばを司る筋肉たちが疼いている気がする。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日は50分かかりました。