◆職場の飲み会とわたし

わたしは職場の飲み会がすきではない。食に限らず摂取するものの質と量を、支払う価格と見合わせると割に合っていない気がするからだ。よくある会費3,4000円を他のことにあててみると、kindleで本が数冊買える・ともだちとごはんに2,3回いける・音ゲーなら40クレジット遊べる(Beatmaniaであれば曲数にして160曲である。それだけやればずいぶんうまくなるはずだ。)・週間スピリッツなら9週間分……なんと闇金ウシジマくんが9話も読めてしまうではないか!飲み会に行くなら、ウシジマくんを9話ぶん読みたいと思う。わたしはそういうやつである。
とはいえ、飲み会に行かないからといって「なんで来ないの?」と聞かれたり翌日に「あいつ、来なかったよ」というような陰湿な空気は流れない。だから別に行かなくてもいい。それでもときどき「行くか」というような気分になるのは、どういうわけなのか。職場のひとと話題があうかといえば、わたしの興味関心には偏りがあるらしく、あわない。筋トレを続けた先にある足の線の美しさとか、それこそ道端に落ちていただいこんで空想をしているとか、そういう話は飲み会むきではない。もっと地上に足のついた、現実的な話がおおい。そういった話はきらいではないけれど、そういうトピックは親密なひととだけできればいいと思っている。ざわつきのある場で酒を入れてする話では、すくなくともない。
そんな中先日の飲み会を終えて、気付いたことがある。「飲み会に行こうかな」と思うときは、ふだんかかわらないタイプのひとの観察をしたいときではないか、と。さまざまな経験を取り入れることで、書ける物語は広がる。わたしは飲み会のようなワイワイした場所には、ほとんど出向かない。あえて行くことで、そこの空気感をつかむ。ふだんは絶対しないような話を聞いて、こういうこともあるのかと知る。聞いている人の反応や、応答の仕方、話題の変え方を見る。わたしがしゃべることもあるが、しゃべっているときは空虚で、中身がない。頭の中ではずっと別のことを考えている。だから何をしゃべったのか、だいたい終われば忘れている。
即座に物語に活きるかはともかく、半ば取材のようなきもちでわたしは席に座っている。そう考えると、会費も高すぎないような気がしてくる。それでもまぁ、年に一回あるかないかくらいでいい。やはり慣れない場所は、とても疲れてしまう。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。こんな動機で参加する人もそうそういないだろうなと思いつつ、ぎゃくに他の人はどういう動機で飲み会に参加しているのかがとても気になっています。

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