◆『九条の大罪』第11審「家族の距離❸」

今回の話

 九条は、金本の愛犬・ブラックサンダーと河川敷にいる。アウトドアセットを運んでキャンプをしていたようである。九条は椅子もないのにスクワットしたような状態でカップ麺を、ブラックサンダーには餌をきちんと用意している。遠くの背景に団地のようなものがみえる。ここは下流の方だろうか。

 烏丸から、曽我部の父親が弁護士費用を届けに来たという連絡が入る。祭日だが、休日しか来られる時間がなく、薬師前に頼まれたという。ねぎらう九条に対し「書類の整理をしていたので問題ない」と烏丸。「真面目だなぁ」と九条。たしかに、所長たる九条は休みの日っぽいことをしている。
 曽我部の父はベースボールキャップのようなものを被り、くたびれたシャツとジャケットに身を包み、ウェストポーチをつけている。両手にはビニール袋、その手は落ち着かない様子で、ガサガサと袋の擦れる音がしている。あまり豊かそうないでたちにはみえない。iPhoneの画面ごしに曽我部の父は落ち着かない様子でお礼を伝える。弁護士費用は無利息の分割払いと、相当良心的な設定のようだ。九条は彼の様子をみて、またもねぎらう。
 曽我部の父は、コンビニを4軒回っておでんのたまごだけを25個購入し、よかったらみんなで食べて欲しいと言う。九条はその買い方につっこみを入れるが、彼は嬉しそうに「たまごが大好きなんです。みんなも大好きだといいなぁ。」と嬉しそうに笑う。彼なりの礼の示し方のようだが、一般的なそれとは大きく乖離している。しかも、そのことに無自覚なようすである。九条は礼を言うが、「私は大根派です。」とそれとなく距離を取る。
 ブラックサンダーの鳴き声を聞いて犬の存在に気づいた薬師前はとっさに「かわいい!」と笑う。烏丸が水を差すように「金本さんが飼えなくなった犬を一時的に預かってます。」と言うと薬師前は表情を曇らせ、九条に「どういう感覚で生きてるんですか?亡くなったとはいえ曽我部さんに罪を被せた元凶の男の犬を預かってるんですね。」と尋ねる。九条は「まぁ、いろいろあってね。」と濁すが、金本という言葉に曽我部父が反応し、何かを思い出している様子をみせる。
 曽我部の父によると、先日泥酔した金本の父が家に来たという。金本の父はすっかりその勢いを失い、古アパートの階段に座り込み、カップ酒を手にしながら「今まですまなかった。許してくれ曽我部。毎日反省してる。」と謝ったのだ。曽我部の父は「今さらなんだよ!絶対に許さないっ!!かっ帰れ!!」と激昂して追い返す。回想シーンでも今日と同じいでたちである。金本の父は肩を落とし、彼の元を去った。曽我部は、自分にしてきたことはもう構わないが、息子にしたことが許せないと話す。それを聞いた九条は「息子さんが亡くなって心細くなったのでしょうね。」とこぼす。曽我部の父はなんとも言い難い表情をしている。金本のことばに反応したときと同じ構図なので、何かを思い、考えているのだろう。

 さて、すっかり場面は変わり、山城がワインをゆらしながら、キャバクラのようなところで女性を侍らせている。山城が独立したときはヤクザも羽振りがよかったというが、今はどこも厳しく、時代が変わったと言う。そこに、ランニングウェア姿の九条が登場。どうみてもミスマッチな状況に、山城も「運動着?」とつっこまざるをえない。九条は山城の事務所から独立したなかで最も優秀な弁護士だったという。急に呼び出したことを詫び、顧問をしている介護施設「輝幸」の社長である菅原遼馬を紹介する。菅原はまだ若そうな男で、ぽつりと挨拶をする。違和感をおぼえたような表情をした九条に山城は、キャバクラを出た後で「もう一軒付き合いなさい。」と個人経営とおぼしき料理屋に誘う。そこで、菅原が詐欺と強盗を本業とした半グレだということを話す。今はヤクザより、半グレの方が金を持っているという。いろいろ弁護士が面倒をみても、急に割り勘などと言い出すので恥をかいたこともあると愚痴る。金払いの悪い輩は世の中に害しか与えないので、量刑を重くして刑務所送りにしたらいいと山城はいう。九条が「顧客ファーストはやめたのですか?」と尋ねると、それに対して「九条先生、弁護士とは何かね。」と問う。

 九条は「法律の勉強は富士山のように綺麗な思想。だが実際は富士の麓は自殺の名所青木ヶ原。暗い暗い森の中。昔山城先生から教わった言葉です。」と返す。しかし山城は寝ている。その後、もう一軒行こうと誘う山城に、自宅まで送ると九条は提案する。山城は「家に居場所なんてないんだ。酒場かホテルに帰る。」とぼやく。そして九条の肩に腕をかけ「私は君のことを息子だと思ってるよ。」と言う。その言葉をうけ、九条は穏やかにほほえむのであった。

 最後は事務所での業務の場面に。九条の表情はすっかり戻っており、前ページの穏やかさが嘘のようだ。家守華江という、コンサルティング会社を経営している中年女性が、父の遺産を取り戻してほしいと険しい表情で訴えている。社団法人に4億寄贈するという自筆の遺書が見つかったが、父が書くわけがないと。施設暮らしで認知症だった父は騙されたのだと家守は悔しそうに力説する。「誰に?」との問いに彼女は「父が入居していた介護施設の代表の菅原と弁護士の山城祐蔵です。」と答える。山城の名を聞いた九条は、その表情を曇らせるのであった。

感想

 今回の副題「家族の距離」は、初回の九条の家族や兄弟にはじまり、警察の上司と部下、そして今回は加害者と被害者それぞれの父、専門職を通した師弟関係、依頼人の家族と、多岐にわたる家族像をテーマに据えていることが読み取れる。
 広義において、血縁に基づく社会集団のみを家族である、とするのに違和感を覚えるのはわたしだけではないと思う。仕事や趣味などを通した疑似家族的な関係性は、おおいに成立しうる。そういった意味で今回のテーマは、単に婚姻に基づく家族関係について言及したものではないことが伺える。前回のテーマであった「弱者」も、曽我部のようなわかりやすい人物から、最終的には壬生に命を奪われた金本のように、相手との関係によって強者でも弱者にもなる存在を描いており、おそらく『九条の大罪』は、単一的なテーマというよりはむしろ、徐々に複雑化していく社会の中で、重層的なアイデンティティをもった人間存在を意識してタイトルをつけているのだろう。

 まずは血縁に基づく「家族」にフォーカスした最初のシーン。曽我部父はみるからに頼りなく、おでんのたまごだけを25個プレゼントするというくだりから、量的なものがすなわち価値とみなされる、要するに、多ければ多いほどよいという考え方がみえる。そこに質的なものの入る隙はなく、推定4,50代にして、かしこまったお礼の場面に不慣れであることや、自分の好きなたまごを「みんなも大好きだといいなぁ。」という台詞における、悪意のない、しかし確実になにかが欠如している想像力をみるに、軽度の知的障害をもった曽我部よりも、障害の程度は重そうである。
 そのあとの薬師前と九条のやりとりは、薬師前のような思想で生きている人間にとって理解し難い行動だろう。曽我部父がいなければこのやりとりは深まっていただろうが、薬師前は今後もでてくるキャラクターだと思われるので、九条の価値観については少しずつ掘り下げていく予定なのだろう。

 金本の父を一喝したエピソードは、虐げられていた相手との関係が逆転する象徴的なところだ。強者・弱者は相対的であり、固定されえない。金本父は息子を失うことで、その強さを失ったのである。曽我部の父は、金本が息子(聡太)にしてきたことを許せない気持ちを抱きつつ、九条の「息子さんが亡くなって心細くなったのでしょうね。」という言葉を聞いて何かを思うような表情をみせる。決して、曽我部父に心当たりがないわけではない。もしも自分が同じことになったとき、心細さを感じずにはいられないというような、そんな気配がただよっている。

 今週最も印象的だったのは、山城が「息子のように思っているよ」と言うのに九条がほほえんだシーンである。自らが帰属する場所は、九条のような人間にとっても求められるべきものだ、ということだ。今までのエピソードを見るに、九条の法律事務所、要するに九条と烏丸の関係は家族的なそれではなく、思想や価値観の語り手(九条)と聞き手=読者(烏丸)いうれっきとした境界線が引かれている。これは数話前の見開きで、九条が烏丸にネクタイを渡すシーンにおいてとくに象徴的だな〜とわたしは思っている。
 これは前作『闇金ウシジマくん』とはずいぶん対照的で、丑嶋はカウカウファイナンスの社員たちを疑似家族的に大切にしているし、社員たちも丑嶋を父に据えたような行動をとる。様々なエピソードはあったが、そういった構図は随所から読み取れる。最終章「ウシジマくん」では特に顕著であろう。また、社員の1人であるマサルに対しては丑島が父、高田が母という役割であることを意識的に描写していたように思う。
 それが、『九条の大罪』では逆なのである。現在、九条が最も触れる時間の長い関係は「家族」ではない。丑嶋の帰宅した後はうさぎに囲まれた生活があったが、九条は仕事上の疑似家族もなければ、帰宅する先もビルの屋上にあるテントと、(今はブラックサンダーがいるものの)孤独で、そこには彼を守ってくれる屋根のようなものもない。現在の九条には、帰属するところをもたないのである。それゆえに現在は距離がありつつも、かつては師弟関係を結んでいた山城のことばが響いたのかもしれない。げんに依頼人・家守から山城の名が出た際の動揺は、仕事モードの九条ではみられない表情であった。

 もうひとつ山城のシーンで象徴的なのが、法律と弁護を富士山にたとえた言い回しである。一般に法律は、人や社会のあるべき姿を言葉によって明確に規定している。たしかにこれは「富士山のように綺麗な思想」といって差し障りないだろう。しかしながら、現実は「麓は自殺の名所青木ヶ原。暗い暗い森の中」と、底知れぬ人の闇と、理想とは程遠い現実を克明に映し出している。これほどまでに現実が救いようのないものになっているからこそ、法律が求められるというのは一見逆説的に思えるが、そもそもあるべき姿になっていれば明文化された規定は必要ないのである。法律が「綺麗」であればあるほど、横たわる現実は「暗い」のだ。
 それを教えた山城は、家に帰る場所がないという。彼は血縁に基づく関係に帰属することができない。たしかに電話がかかってきたときにも、ホテルで乱交した後だった。血縁に基づいた法律上の「家族」というものは、山城にとって形骸化していることがうかがえる。そういった観点からみると、離婚して縁遠くなっている九条にも似たようなことがいえるかもしれない。一方でもう1人の師であった流木には孫がいて、おそらく順当に家族というものをやってこれたのだろう(詳しく書かれていないのでわからないが)。これはのちのち、重要なちがいになってくるように思える。

 最後の家守の依頼のシーンも家族(認知症の父と娘)についての言及があるが、次回以降でくわしく述べられると思われるので割愛する。ポイントとしては、血縁による家族に身を委ねられない山城と九条が対立する予感を匂わせておわる、ということだ。2人は師弟関係にあり血縁に帰属できないという共通項がふたりを結んでいる気配もある。どう展開していくか楽しみである。

 読んでくださり、ありがとうございます。今回は「家族」に焦点をあててみました。その「距離」についてみてみてもいいのかもしれませんが、山城と九条は距離が離れてから家族のエッセンスを感じ取っているようにもおもえます。

コメント

  1. […] している現実をたしかにその目でみていることがこれまでのエピソードから窺える。山城は前話の「法律の勉強は富士山のように綺麗な思想。だが実際は富士の麓は自殺の名所青木ヶ原 […]

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