前回。
これまで、3年以上同じ職場で働いていると、根拠もなく「なんかもういられないな」という気持ちになり、辞めては休んだり別のところに行って、ということをしてきた。例に漏れず今も気持ちとしてはそうなのだが、会社をつくるところから一緒にやらせてもらっていたり、待遇についても業界にしてはだいぶよくしていただいたり、職場じたいもいい人たちばかりなので、ちょっと長めに居座ってしまっている。決して悪いことではなく、むしろ、ひとつのコミュニティに滞在ができない自分がいられる稀有な場所といってよいだろう。
ただ、やはり3年目を迎えるあたりから「なんかきついな」という気持ちが出てきてはいて(本当に申し訳ない。関係を構築・維持するにあたって先方に問題はないと思う。)、泡のはじけるように「もういられねぇ!」という気持ちになったとき、先方に迷惑がかかったり、自分が困ったりしないよう、「今とフィールドの異なる資格でもとってみるか」と行政書士資格をとってみるなど、「ここだけじゃない」ところを模索するようになった。
実際、ぼけぼけ過ごしていたこともあり、界隈をさぐるのは今年からといったところだが、それはそれでおもしろいご縁やつながりが見つかる。他の世界を見るのは旅行と似ていて、同じ世界に入り浸っていると気づきづらい、ズレや課題を感じたり、はたまた他の世界のレンズをしたまま同じ世界へ戻って再考してみたり、というような、観念の旅をする。今のしごとをするにあたっても、持ち合わせた方がいい視点が身に付くこともあり、新しく先に進んでいくにあたって道がみえてくることもある……と思う。
そのため、実際に足を運んで法の界隈にいってみることもあれば、全く異なる領域の本や論文を読んでみることもまた、「ここだけじゃない」世界に接続できる。実体験ではないので実感は薄れるものの、そこでの気付きが忘れたころに本業とつながったり、余暇とつながったりすることがあって、セレンディピティ的なものをふやすことができる。しごとに関わる話ではなくなってしまったが、「ここだけじゃない」はじぶん全体にとって何かこう、意味があるような気がしている。
読んでくださり、ありがとうございます。だからこそしごとで忙殺されてくたばるような毎日が続くと視野狭窄におちいりやすく、いやになってくるのです。生きることを支配されているような。
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