◆感想『九条の大罪』第51審「愚者の偶像」②

今回のお話

小山からテキーラの一気飲みを強要される数馬。その様子を見ていた千歌が引き留めるが、小山は聞く耳を持たない。そこに店の責任者が現れ、小山に土下座して謝る。その様子からして、小山のことを相当恐れているようである。その様子を見て詰められたた数馬は一気飲みを受け入れるが、案の定嘔吐して倒れる。千歌は数馬を見下ろしながら、どうしてこんなことをするのか尋ねる。小山は隠す様子もみせずに、若いイケメンはただ(無料)で千歌と性的な関係を持つことができ、自分にないものを数馬が持っているにもかかわらず、その価値に気づいていないことにもムカつくのだという。店長に運転手を呼ばせ、去っていく小山と千歌を数馬は見届ける他ないのだった。

壬生に気づいた数馬はタクシーを呼ぼうか声をかける。もう呼んでいるという壬生に、先ほどの失態で空気を白けさせてしまったことを詫びる。壬生は、笑われることを率先してやれるのは勇気がいると数馬を励ます。そこから、店で働いている理由を問われた数馬は、役者を目指して東京に来たこと、失敗して借金ができたことを話す。役者になったのも、中学の文化祭で演劇の主演になったことがきっかけだという。何かに選ばれるという経験もさることながら、妹が喜んでくれた顔が忘れられなかったことが大きいらしい。妹について壬生は尋ね、病弱で入院と自宅療養を繰り返しているといい、役者を目指すよりも金を稼ぎたいと本音を口にする。そこで壬生は、どうして金持ちが金持ちアピールをするのかを問いかける。マウントをとれるからという数馬に対し、人から注目される最も簡単な方法が金持ちアピールなのだと壬生はいう。そして、壬生は数馬の金持ちになりたい願望が本気かどうか問う。同意する数馬に、まずは100万を貯めて、そうしたら自分のところへ来るよう声をかけて連絡先を交換する。

迎えがやってきて、別れ際、数馬は壬生の職業を尋ねる。自動車整備工場社長との答えに、先ほどのやりとりで冗談を言われていたのだと悟る数馬だったが、店長から壬生のことを尋ねられ、まんまと乗せられたという数馬に対し、壬生が自身の働いている店に出資したオーナーであることや、飲み屋やラウンジの経営をしている会長だと本当の姿を伝えられる。さきほどのやりとりが本気だったことを悟る数馬。以前付き合っていた頃の情報だろうか、千歌の家のそばで待ち伏せているが、カーテンは閉まっており、出てくる様子もみられないようだ。

帰り道、数馬は母に電話をかけ、しばらく仕送りができそうにないこと、自分の人生を変えたいことを語る。母は働いており、妹・数恵の心配ばかりしないで、自分のことをしっかりやればいいのだという。泣きながら電話を切り、母と妹を思いながら、必ず成功すると決意するのだった。そこから、壬生の言われた条件である100万を月内に用意し、そうしたら会ってほしいとメッセージを送る。それを見ている壬生に声をかける九条だが、壬生は何も語らず、流すのだった。

感想

金持ちの余裕を隠すことなくひけらかす小山は、壬生のいうような「金と影響力がある人間」として象徴的な感じだなぁというのが、コンビニ店員への悪態のシーンも含めてさらに強まった前半パートだった。以前からそうだったかもしれないけれど、今回は持ちし者と持たざる者の立場の差がキャラクターの配置などからも強く伝わってくるなぁ(序盤の小山と数馬の対立など)。

千歌が家に帰らないのは、おそらく小山が以前九条にあてがおうとした愛人専用の居宅にいるからだろう。千歌は、数馬と付き合っていたであろう1年前と比べると、すっかり今の役割に落ち着いていて「契約」として割り切っているようだ。歌手を目指していた頃から東京の圧に押されているところはあったが、どこかタイミングで、金銭的な対価があれば職にこだわる必要はない(こだわっていられるほど自身の素質は見出されなかった)と気づいたのだろう。壬生のいうように京極や小山のような「金と影響力のある人間」が現実の社会を動かしているのであれば、それを構築するパーツとして自身を組み込んだほうが、夢を追うより現実的な選択肢だというのは、たしかにある。

そして数馬もまた、役者への道を絶たれ、借金を抱えてそのことに気づき、今回の壬生の誘いによって、パーツとして組み込まれていく……かもしれない。その序章となる、今回のエピソードだろうか。壬生の100万のくだりは、『闇金ウシジマ君』のフーゾクくん編に登場した芳則を彷彿とさせるが、数馬は部屋を見る限りそこまで荒れきっておらず、借金はあるものの、現時点では一般的な一人暮らしの男性の居室の範疇とみていいだろう。人物の精神状態と居室の状況は、真鍋作品では深く結びついて描かれることが多いため、今後のエピソードでどう変化していくか見ものだ。にしても芸能界に一度入り、借金を作ったとは一体どういう状況なのだろうか。借金を作らせる→引退を余儀なくされる→数馬の働いていたようなバーへの左遷→借金を返せないまま働かされるといった闇深いルートがどこかで確立していて、それすらも持ちし者のつくったシステムなのだろうか。『消費の産物』におけるしずくや『事件の真相』の愛美など、若いひとびとを取り巻く暗澹とした状況というのも、現代社会の鏡たる本作らしいところだな〜と思う。

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