◆「やらなくてもいい」を「してもいい」【サガシリーズ考察】

 PS Vita「サガスカーレットグレイス」のリメイク版である「サガスカーレットグレイス 緋色の野望」をSwitchで遊んでいる。シリーズおなじみの技のひらめきからキャラクターの会話のそっけなさまで「サガ」らしさがあふれている。とにかくバトルが楽しい。シナリオが全く進んでいない。

 「サガ」は全体を通して(サガフロ2はやや異色だが)、強制力のすくないゲームだ。メインシナリオはあるが、それに付帯するイベントや、全く関係ないイベントがあまりにも多い。サブイベントのなかには、報酬のないものもある。最新作「サガスカーレットグレイス」では産業開発という、各地の特産品を交換することで新たな特産品をつくるサブイベントがあるが、かかる手間のわりに得られるものはそこそこのものばかり。PS Vitaで手に入るトロフィーの名前も「壮大なる道草」である。しかしこの、本編に関係のない遊びごころがいい。余白とでも呼べばよいのか、とにかく「サガ」には「やらなくてもいい」遊びが満ちている。

 上でも少し触れたが「サガ」はキャラクター同士の会話があっさりしている。メインキャラ同士の会話ですら使いまわしているときがある。別の洞窟に入って会話内容が同じだというのはざらである。ときには「え、このタイミングで?」というときに選択肢が出て、誘ってみるとあっさり仲間になり、それ以降喋らない。このあたりのドライさは「FFT」と似ているかもしれない。仲間にならないキャラクターも、町に入ってそうそう「空から宝が落ちてくるらしい」という噂話をしてくる人や、急に「町の発展のために差し上げます」と藁を500コくれる人がいる。それ以上キャラクターは説明をしない。「え、何?」と思えば、ポップアップで解説が出てくる。しかし、やはりそれもあっさりとしている。「気になったらやってみてね」という制作者の心意気を感じる。そのあとで解説は出てくるのだが、そこから醸し出す雰囲気はどこか強気だ。そして、それらはやらなくてもシナリオが進む。そういったものがとにかく多い。

 制作者の河津氏によると(このツイートは複数主人公に対する言及だが)こうある。

 ウェイトを一人のキャラクターに置きすぎないために、淡白な感じがするのだろう。多くのJRPGはメインとなるキャラクターが語り、たいへんな経験があり、ストーリーができていく。しかし「サガ」において、キャラクターは多くを語らない。それどころか複数主人公のものが多いので各人物の世界の見方はばらばらである。そこに加えて「やらなくてもいいこと」「話さなくてもいいひと」の集合があり、世界全体を表現している。

 これは今わたしたちが現実に生きている世界ともよく似ている。そこに主人公はいない。「やらなくてもいいこと」と「話さなくてもいいひと」が山のようにいる。そこから自分で「えらびとる」ことで世界を構成していく。そこに偏りがうまれるのは自然だし、ときにその差異を楽しむのも一興である。そういった日々から「サガ」の世界構築に着想を得ているのだとしたら、ものすごくリアリティがある。

 それぞれが必要とするぶんだけ遊べばよいという選択肢を与えてくれるのが「サガ」だ。根幹となるシナリオだけでよければメインを、世界観を知りたければいくらでもある寄り道を。人との会話とて、やりたいぶんだけしたらよい。この「選ぶ自由」を大切にしているのがこのゲームの特色ではないだろうか。さまざまな場面で余白を奪われつつある今、こういったゲームは貴重かもしれない。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。世界観を知りたいマンなので道草をしまくっています。まだ、一人目の主人公が終わってません。MOTHERシリーズのNPCの会話なんかも全部話しかけちゃいますね。

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