◆スマホの留守番

今月から自転車通勤をはじめた。一年の中で最も暑い時期にスタートしたのはどう考えても失敗だったが、電車を逃すことはなくなるし、知らない人だらけの通勤電車に乗らなくてもよいのは大きい。病気の遺産かどうかはわからないけれど、特にぴりぴりとした雰囲気がはびこる通勤時間帯はたいへんな緊張を伴う。それに31日になった今思い直してみると「一番つらい(であろう)時期にスタートして乗り切れれば、あとの月がつらくなくなるのでは?」という脳筋理論が脳内会議で提唱、承認された。

そこで気づいたのがスマホの存在である。自転車通勤にスマホの出番はないし、仕事の時間でもとくに使わないので、鞄に入ったまま退勤時間まで主を待っている。帰るころには電池だけが消費されており、通知たちを確認するのは帰途についた後であった。職場と家の往復においては、スマホがどちらにいようとも「見ない」という運命は変わらなさそうだ。
それを発端に、そもそもスマホが自分にとって必要なものなのか、電話契約をやめてしまってもなんとかなるのではないか等、思考が発展していった。結論からいうと、それはなかった。スマホは休日に関してはないと不便(①地図を見る機会が多い②電子マネーぐらしが常になっているのでなくなると現金を下ろさないとならない=面倒)であり、そもそもわたしはGoogleカレンダーを余すことなく活用していた。電話機能の必要性に関しては、データ通信のみのプランにシフトすると、Docomoさんの場合却って割高(通話最小限のシンプルプランが980円、データのみのプランが1700円であった)になることが判明した。なぜこのような設定なのか。

当然のようにこなしている習慣を見直す機会は、さまざまなことがめまぐるしく変化する社会において、きっと大切なことだ。よくよく考えてみると必要なかったり、思わぬ発見があったりと、普段意識していないことに目を向けられる。
さっそく来週一週間を、スマホを留守番させて過ごしてみるつもりだ。さいわい業後の予定がまったくないので、効果をふんだんに感じられよう。暇というのはどこまでも幸せなことだ。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。ちょっとしたきっかけで思考が極端に振れがちなのは、わたしの悪い癖です。

コメント

  1. […] 先週の記事どおり、今週はスマホを家に置いて出勤してみた。結論からいうと、特に困らなかった。 そのとき見なければいけないような内容は来なかったし、すきますきまでメール等を […]

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