◆目で手で読む

『闇金ウシジマくん』最終巻と短編集『アガペー』を、日付の変わった瞬間に電子書籍で買って読んだ。ぐっときて、終わりのさびしさに眠る。朝起きて、ウシジマくんのステッカーが書籍特典として付属しているというニュースを見た。

さすがに1巻から電子で集めてきたウシジマくんを46巻だけ紙で買うのはすっきりしないので、『アガペー』のほうを1冊買い、ぶじステッカーを手に入れた。これはとても秀逸な短編集で、興奮冷めやらぬまま紙のほうでも読んでみた。はからずして、紙で読むまんがの魅力を思い知ることとなった。

まず紙質だ。表紙のつやつや感。電子で触れるのは液晶だけ、どんな紙を使っていようと指先の感覚はおなじだ。発色も液晶によって見え方が変わる。これはひとつ、アナログの最強たるところだろう。

つぎに、紙とインクの風合いだ。とくに真鍋先生はアナログで原稿を描いておられるので、紙で読むと筆の跡がより臨場感を増す……気がする。おもえば、はなから電子向きの作家ではないのかもしれない。見開きの描写もおおいので、片側ずつしか見られない電子ではどうしても迫力が落ちる。同じ「書籍」というくくりでも、電子は頁を分解し、再構成しているにすぎない。一冊に綴られた紙たちとはやはりちょっと性質が異なる。

そして物理的な重みも大切な要素だ。運ぶ面倒はあるが、かわりに頁をめくるわくわく感がある。あとこれだけかと残ページをにぎって惜しくなり、歩みの遅くなるときもある。もちろん電子とて、残ページを確認できないわけではない。しかしその仕方が違う。手に重み、目に厚さ、紙やインクのにおい。すべてを吸収しながら読書をしている。

効率化だなんだといいながら、本も図書館を使いだしてから紙で読んでばかりだ。けっきょく、紙がすきなのかもしれない。昔は紙で読むのがふつうだったはずなのに、すっかり電子のお世話になって、紙の魅力を忘れかけている。このなつかしいのに新鮮な感覚。デジタルと併存する読み物。ふしぎな時代になったものだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ステッカーが大きすぎてスマートフォンに貼れないので、どこに貼ってあげようかなやんでいます。もともとあまりものを持たないので候補が……。

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