■努力

弁護士として企業法務で働く傍ら、小説を書いておられる作家・新川帆立さんのインタビューを見た。2025年現在で4年前の動画になり、すでに専業作家になっておられるかもしれないが、動画でざっと紹介されているあらすじだけでも、興味をひいた。

そのなかで、持論ではあるが、と前置きしたうえで「努力とは自分のもっている時間やスキルなどの資源を全力投球することだと考えていて、それで無理ならば作家として食っていくことはあきらめる」と話しておられた。要素としては理解ができ、共感もした。無理だったときの潔さについても、悔いのないようリソースを割いているので、やりきったということなのだろう。

自分の「したいけれどもできていない」ことに置き換えてみると、まだまだ全力でやりきってはいないなと思う。しごとの比率を下げ、別のしごとを少し入れたいこと、小説を書きたいということ、考えてみればほかにもあるだろう。もともと「がんばるぞ」と思って努力を続けることには苦手さがあり、興味があったり楽しいと思うことを自然と続けていたところ、実ったな~ということが非常に多い。ゆえに「やりきる」とか「リソースを最大限使って」という観点は弱く、今できていないことたちに関して「やりたくないな」「めんどくさいな」、もしくは「そういえばやってないな」と浮かぶものが、努力の余地として残っているかもしれない。

では、その余地とはなんなのか。私の場合は圧倒的に時間だろう。脳がぼけっとしはじめるとYoutubeをみて時間が経ってしまうようなことが、これまで何度起きていただろう。Twitter(現X)は意図的に離れることをしてみてSNSによる時間泥棒は減ってきたものの、これである。脳の疲れたときのリセットと、その後でできることを知ること、がまずできることだろうか。

読んでくださり、ありがとうございます。これでもまだマシになってきた方ではありますが、「全力投球」はできていなかなと感じます。人の脳は弱い。

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