立川に戻りたくてしかたない気持ちでいっぱいになっている、という記事を書いた。その気持ちは今もふつふつと湧き上がるときがあって、今いる場所への不満がなくともかなしみがつのってしまう。
しかしながら、そうしていることには生産性も希望もないので、それ自体がかなしいことだ。会社の命令で引っ越しているわけではないし、いつでも戻ることはできる。通勤時間が倍以上かかるので今より疲れることは試すまでもなく、そう思って緊急事態宣言中に転居をしたのだ。その思いは今でも変わっていない。
週の前半、早く退勤できた日があった。帰宅して空が明るいのは久しぶりだった。そんなことはめったにないのでせっかくだからと、買い物、読書、行きたい展示の下調べ、ゲームのダウンロード等、やりたいことをして過ごしているうちに、あらためて今の居住地がそうとうに住みやすいところであるとわかった。駅の近くに本屋があり、図書館があり、品揃えのよいスーパーもある。交通量の多い通りがそばにありながら、閑静な居室が今の住まいだ。静かで読書が捗るし、インターネットも無料だし、交通の便もよい。立川にいた頃は九割九分九厘立川から出ない生活をしていたので、自分の行動範囲を広げるのに転居という方法は適切だと思う。ポジティブな動機だとしても、移動は疲れを伴う。
これまでは居住地を決める軸が職場との距離しかなかったので、どこかで「仕事」に誘導されている気がして、いくらいいところがたくさんあっても、住みたくて住んでいるわけではないような気持ちがわだかまっていた。こうした反動的な感情が拭えず、郷里に戻りたい気持ちでいっぱいになっていたのだが、退勤後の自由な時間の中でそれらを見つめなおしてみると、おなじ「いいところ」でも、自分の意志の介入する余白がおおいに生まれる。勤め人になってからの自由な時間は、自ら筆を執ることのできる貴重なキャンパスである。そういうふうに今住んでいるところをみてみると、自分の意志で居住地を決めている感覚が少なからず生まれてくるので、反動的だったそれが、まんざらでもないなというきもちに変わってくる。
一見くだらないことに見えるが、仕事以外の軸が増えたことで、住んでいるところを以前よりフラットに見られるようになった。しばらくこのあたりに住むことになるだろうが、上半期ほどつらいきもちで過ごさずに住みそうでほっとしている。
読んでくださり、ありがとうございます。自分の時間をもつ大切さを別の視点からも学べました。それでも家賃は高いのですが。
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