自炊をはじめて2年経ったいまも、おかずを作りすぎることがある。幸い近所にともだちが多いのでもらってもらったり、時には遠くのともだちが遊びついでに食べてくれたりしている。

先週も同居人の出張が伸びてお弁当の回数が減ったので、だいぶ作り置きが残ってしまった。そういうとき、もらってくれる友人がいると心強い。いつものように差し上げると、思いもよらない言葉が返ってきた。

「いくぶんか食費を出資するので、おかずをもらうことはできないだろうか?」

突然の提案に面食らったが、すぐにうれしいきもちがこみあげた。快諾し、その日は別れた。

そのあと「感情の種類を知っておくといい」と主治医に言われていたことを思い出し、この「うれしさ」について掘り下げてみた。

まず、何につけてもわたしは戦闘民族、パフォーマンスに対するフィードバックが増えることで、さらなる研鑽につながる。強くなることは戦闘民族の美徳である。よって、これは受けるべき「たたかい」だ。

次に、友人はまったく自炊をしないひとで、そもそもこういうお願いをしてくれたということは「めしがまずくて仕方ない」というわけではない(と思われる)ので、ちょっと自信につながった。同居人も「おいしい」と言ってくれるけれど、ときどき食べるひとの「おいしい」が加わると、低空飛行の自己肯定感がもう一歩、底上げされるような気がする。

そしてさいごに、すきでやっていることが他人の役に立つというのがうれしかった。わたしはこれまで、自分のやりたくないことを一切やらずに生きてきた。それは今もおなじで、料理でもそうじでもゲームでも文章でも、やりたいから、すきだからやっている。既にこの「やりたいことをやっている」充足感でいっぱいのところに「実は役に立ってます」などと他人に言ってもらうとは、何たる僥倖だろうか。まったく他人のことなど考えていないというのに!そんな自分が、こんなことばを受け取ってもいいのだろうか?

さまざまな感情が入り交じりつつも、うれしい依頼であることに疑いようはない。うれしさあまって3人分を「つくりすぎない」ようにしたいものである。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。快の感情でも掘り下げてみるとけっこう疲れました。