素数がすきだ。3はとくに。これ以上理由を求められても、回答に窮してしまう。うつくしいものをうつくしいと思うのとおなじように、りくつはいらない。

一方で、危険も持ち合わせている。それは、能動的に3を使うときだ。要は、行為の並行である。音楽ゲームは3つ着手したとたんにすべてのモチベーションが下がってやらなくなるし、読書も三冊併読しようとすると絶対にひとつ読むのを忘れる。たいへん恥ずかしいことに、じつは今、まさにそうなっている。料理はひとつを煮っぱなしで放っておくようならなんとかなるが、すべてに作業が必要なものはどれかひとつ(ひどいとふたつ)しょっぱいとか、薄いとか、固いとか、しっぱいする。しごとは言わずもがなである。しごとは金銭と責任の交換行為なので、3つ以上指示をされたときは必ず優先順位を聞いてメモをしているのだが、それでも平気でわすれて帰ることがあるので、こいつ、なかなか大物だなとわれながら思う。

これは、何につけてもモチベーションが上がりやすく、すぐにやりたくなってしまう、自称・壊れたエンジンのわたしにはとても重要な問題だ。モチベーションのあるのはいいことだが、じょうずに抑えないと体力も精神力も自己効力感も一気に崩れてしまう。そこから発生するのが無気力や、ひどいときは鬱である。

最近ではやりたいことが読書と物書きとゲームのふたつに絞られているので、従来のようにあれもしたいこれもしたいという「行動そのもの」が3つ発生してしまうことは減ってきた。 ここで「読書と物書きとゲームでみっつではないか」と思われるかもしれないが、呼吸とおなじで読むと書くはわたしにとってはセットである。また、料理は趣味以前に家事の一環なので、あまり「やりたい」と思ってやっていないというか、時間になると自動的に始めるものなので割愛している。

行動のなかにうまれてしまう3。3を愛するから並行できるように努力するのか、愛はあってもひとつを捨てて生きるのか、それが問題だ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ひととシェアする小さなシュークリームやエクレアも素数のものがほしくなります。