エッセイ

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◆たましいになりたい

20歳になって間もないころ、肉体がじゃまでじゃまでしかたがなかった。遠方の人と縁が深かったこともあるし、メスの体を持つことが性そのものに直結してしまうという事実が疎ましくてならなかった。おそらく人生のなかでもっともいろいろなことがあって、自...
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◆本名の居処

ひとは場面によってさまざまな顔を使い分ける。わたしの場合は大きく分けてふたつ、「本名のじぶん」と「ハンドルネームのじぶん」だ。本名は職場や家や公的手続きのときに使って、ハンドルネームはゲームや創作のときの名前、つまり「みかげ」や「IGYO1...
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◆英語学習の途

韓国語に引き続き、英語もついでに勉強しておきたい。とくにきっかけがあったわけではなく、なんとなく日常的に触れておいたほうがいいだろうなと思ったのだ。 まずは身近なものからと、スマートフォンの言語設定を英語にした。いくつかのアプリは本体の言語...
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◆理想の休暇

先週のことだ。くだけた言い方をすれば「めちゃくちゃ」いい休暇をとれた。 その週は具合がわるかった。しごとを休まなかったのが奇跡といえるくらいだ。外来でも話をしながらじぶんがなにを話しているのかよくわからず、しまいには医師の提案に対して「調子...
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◆わたしの「書きたい」こと

これまで11ヶ月、実にいろいろなことを書いてきた。趣味や生活改善、書くことそれ自体や日々感じたことなど、とにかくいろいろだ。 1年を迎える前に、記事をぱらぱらと読み返した。2年目も目前にして、立ち止まる。 果たしてわたしの書きたいことは何な...
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◆さらなる高みへ

展示から一転して脳筋デイズに戻る。食事の改革については書いたが、筋トレについてふれていなかった。ここまで3年強、スクワットを続けた。ここ半年で腹筋と背筋をまぜたが、なんとなく物足りなさを感じていた。ある日、ドラゴンフラッグという筋トレの極み...
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◆表現について

展示を終え、皆の作品をトラックに積み込みながら思う。わたしの表現とは一体、なんなのだろう……。たんなる表現ならいっぱいやっている。エッセイを書き、小説を書き、絵を描き、動画をつくる。ただ、今それらはてんでばらばら、思い思いの方向で輝くだけだ...
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◆ハレの日ケの日

作者・作品にとって展示は「ハレ」のイベントだろう。着飾った瞬間を見てもらう、大事なことだ。しかし、それだけで終わってしまうのはなんだかもったいない気もする。「ハレ」があれば当然「ケ」がある。この「ケ」の期間の方がずっとずっと長い。今回の「心...
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◆人生の成功について

春先から手伝っていた展示「心のアート展」が終わった。いつもながらアトリエ絡みのできごとは考える種をたくさんくれるので、しばらくはそれにまつわる話を書こう。展示のときにだけ会えるひとが何人かいる。わたしは人の多いのが苦手なので、絵のタイトルや...
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◆わたしにとっての豊かな日々

「理想のくらし」ということばがある。ときどき、そのことについて考える。わたしには野望が少ないし、これまでの生きる糧も「スピリッツに掲載される『闇金ウシジマくん』の最新話」だったので、なんというかこう、人生に多大な期待をもって生きているわけで...